描くための読書録:山地酪農 - p.4
フレッシュミルクの地産地消→大量生産と遠距離流通
中洞さんがおすすめする70度から80度でゆっくり沸かす方法が、結局いちばん美味しいんだって話だったけど、その方法だとどうしても細菌が残って商品として流通できない。日本の牛乳の品質を規制する乳等省令が定めてる「大腸菌が陰性でなければならない」っていう基準を満たせないんだって。
じゃあ、おれらはその究極の牛乳は飲めなくて、酪農家の特権なのか??
そもそも何でそんな法律になっちゃったのー?っていうこの省令ができた歴史が次の話。
この乳等省令が定められる前の冷蔵流通が発達してなかった日本では62度から65度で30分湯煎する殺菌方法だった。結局、冷蔵流通できないから近場にある新鮮な牛乳を使ってすぐ飲むしかない。だから、牛乳の独特の臭さが出ない低温殺菌で成り立ってた。
それまでの省令が一部改正になる事件が起こった。
それが1955年に起こった「森永ヒ素ミルク中毒事件」。
なるほど!この事件がきっかけで日本中の大手メーカーが高温殺菌を導入することになったのか。全員整列!まさに日本的。。
東京で故郷の牛乳が飲めた時代、小さな酪農が消えた時代。
55年というのが全然体感できないから、ぼくの大尊敬する函館のバスク料理専門店 レストランバスクの料理長深谷さんの人生で当てはめて想像してみる。笑
深谷さんが8歳の頃、ちょうど森永の事件は起こった。深谷さんがお母さんの元で美味しいご飯を食べていたもっと幼い時代には、深谷さんはきっとこの低温殺菌された函館のほんとにうまい牛乳を飲んでいたんだろうな。
そこから冷蔵車が普及し、道路が整備されて北海道の牛乳が関東で飲めるようになって、1970年代以降には大規模生産と遠距離流通が広がった。深谷さんが23歳でちょうどまだ大学院にいたのがその頃。
なるほど!つまりその頃には、東京にいる深谷さんも故郷の北海道の牛乳が飲めるようになったのか!なんかいい話やん。
でも、小さい頃飲んでいた低温殺菌のフレッシュな牛乳ではなくて、高温殺菌の牛乳だったのにはガッカリされただろうな。
うちの母の実家は佐賀県の山ん中なんだけど、母の幼少時代までは祖父は牛を飼っていた。それが1977年くらいだから、ちょうど冷蔵配送が普及したのと同時期に、地域の牧場ともいえない小さな酪農が消えていった時代だったんだな。母が飲んでいた牛乳はどんな味だったんだろう。今度、帰省したら聞いてみよう。
そうして、確かぼくの祖父は牛を手放して、田んぼをやりながら牛飼いに代わる何かを始めた。ほんとに昔の農家さんはマルチすぎる。このマルチな農家の話はまた別の機会で描いていきたい。
日本の殺菌方法だけが正解じゃない
やっぱりこうやってみるとテクノロジーは表裏一体。
じゃあ、現状の殺菌方法と他に殺菌方法ってないの?ってとこなんだけど、実はあるみたい!
牛乳の殺菌方法の4種類が説明されているので、そのまま引用させていただきます。それでは行ってみよー
昔からの殺菌方法
パスチャライズともいって、フランスの細菌学者ルイ・パスツールが発見した。元はワインの異常発酵を防ぐことに用いられた。
世界的に一般的な殺菌方法
日本式のJ-UHT
欧米ではもう少し高い温度で殺菌する方法が一般的で、それは船舶用だったり保存食用で日常で飲まれるものじゃなかった。日本ではそれよりも低温で殺菌するから「フレッシュ牛乳」という名前で販売されるけど、欧米じゃそれはないみたい。
これが伝統的な酪農国とそうではない日本の違い。
高温殺菌することで臭うあれは牛乳のタンパク質が熱変成を起こしたのが原因。
無殺菌の特別牛乳
そして、中洞さんがいうにはやはり違いを知るには、飲み比べだそうだ。
色々な考え方や歴史的背景、それを体験してみるからこそわかるんだ。
今日はこれくらいにしておこう
だいぶ面白かったなー
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描くための読書録
本に書いてあるテーマはとっても気になるからこそ、本は買うけどなかなか読み進められない。本を読むのが遅いので、それならば文章を書くため、何かを新たなものを描くために読めば、読むのも進むのではないかと思い、徒然なるままに書き、その流れで本を読んでみようという至極個人的な小さなチャレンジです。
想いのままにやるので、読みたいところまで読んで次の本に行っちゃうかも知れませんがすいません。。
まず読み進めるのは、山地酪農のパイオニア なかほら牧場の中洞正さんの「幸せな牛から美味しい牛乳」です。一部、この本から文章を引用しながら書き進めていきます。
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