昭和の飼い犬
20年くらい前、たしかあれは盆休みに川崎の実家へ帰省したときのこと。
実家の飼い犬は私によく懐いていた。当時ジョギングが趣味で汗をたくさんかくのが大好きだった私は、休みのヒマに任せて真昼間、その犬を連れて走りに出かけた。彼は最初こそ尻尾を振って飛び出したが、5分くらいですぐ帰りたがった。でも私はまだまだ運動し足りない。炎天下、彼を引っ張り回した。いつもならせいぜい30分のところ、その日に限って日陰の無い川の土手をたしか2時間近くジョギングした。毛皮を着て汗をかけない彼は、さぞや苦しかったに違いない。焼けたアスファルトで肉球も火傷していたかもしれない。でも当時の私はそんなことにまったく思いが至らなかった。いま思えば立派な動物虐待だったけれども、当時はだれにも諭されることなく、私は「いい汗かけた」と気分爽快で帰宅した。彼はしばらく水すら飲めずにハアハアしていた。幸い、翌日には回復していたようだったが、かなりダメージはあったと思う。それでも彼はその後も変わらず私に愛情を示してくれた。死んだのはその3年くらい後だった。最初は私が欲しがって里親譲渡会でもらってきた犬だったのに、最期は一緒にいてやれなかった。
いまでも散歩中の犬を見るとこの話を思い出し、空に向かってごめんね、と手を合わせる。
実家にはその前からずっと犬がいて、私は子どもの頃から犬が身近だった。でも代々の犬はどれも「番犬」の扱いで、家の中に入れるなどあり得なかった。私が覚えている初代の黒犬などは、散歩さえ誰もしていなかった。かわりに毎晩門を開け放って、勝手に遊んで来いというスタイルだった。たしか野犬狩りみたいのもまだ行われていたと思う。エサは味噌汁をぶっかけた残飯に申し訳程度、ビタワンという固形のペットフードを振りかけるのが定番(むしろ猫まんまのイメージ)。当時は塩分がどうの、なんていう発想もなかった。犬の散歩用ハーネスなんてものが普及し始めたのは平成に入ってずいぶん経ってからではないか。昔、父と一緒に犬の散歩に出ると、首輪につないだ綱を躊躇なくぎゅうぎゅう引っ張った。子ども心に苦しいだろうにと思ったが、そのときの父の台詞は「しょせん畜生だから」。それはいまだに覚えている。
動物愛護という観点から見ると、昭和のころと比べて日本はだいぶ進化したと言えるのだろう。犬猫の殺処分数は私が10歳のころ(1974年)の120万匹と比べて一昨年(2021年)は1万4千匹で100分の1になったそうだ。(テレ朝ニュース:2021年度の犬・猫の殺処分数 全国で計約1万4000匹 過去最少を更新 環境省)
人間の価値観、態度というものは、たかだか30~40年でこうも変わるのだ。
今日の空は自宅のベランダから。いわゆる曇天。
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