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8月になったので昭和の話を

『日ソ戦争』という本を読んだ。

日露戦争ではなく日ソ戦争。

副題にあるとおり、昭和20年夏、日本が最後に闘った戦争の話だ。日本では8月15日が終戦の日ということになっているが、実は満州や千島列島ではその後も9月上旬まで、ソ連軍との戦闘が続いたという。それを日ソ戦争と呼ぶというのは、本書で初めて知った。

シベリア抑留、満州からの引き揚げ、中国残留孤児、などなど、若いころよく報道で耳にした言葉の意味と背景も、恥ずかしながら本書で初めて筋道立てて理解できた。以前『韓国併合』を読んだときと同様、今回もあらためて自国の近代史についての無知さ加減を思い知る。何事も極端に振れない意見を持つためには、とにかくたくさんのものを読んで自分の頭で考えるしかない。ふたたび自分のなかで読書週間強化を誓う。

思い返せば、学校で日本史をまともに勉強した記憶がない(学校のせいにしてるわけじゃなく、私が不熱心な生徒だったということ)。語呂合わせで年号を暗記したことはぼんやり覚えているが、それも大化の改新からせいぜい明治維新くらいまでだったんじゃなかろうか。

いまの学習指導要領がどうなってるのか知らないが、いまだに「鳴くよウグイス平安京」とか教えてるのかしらん。個人的な意見を言えば、今の子どもたちにまず教えるべきは、むしろ日清日露戦争以降の近代史、とくに昭和の63年間じゃないか、と思うのだけれど。もっとも、歴史を学ぶ意義をティーンエージャーに理解させるのはいつの時代も至難の業なのかもしれない。

そういえば、私の親にあたる戦中世代(80代以上)は、学校でどんな歴史や地理を習っていたのだろう? と思い、昭和12(1937)年生まれの母に聞いてみた。

すると、小学3年生のとき疎開先の学校の校庭で玉音放送を聞いたのはよく覚えている、でも授業で満州や朝鮮、千島、樺太について習った記憶はぜんぜんない、という回答だった。

当時の大日本帝国の勢力範囲について学校で本当に教えなかったのか、あるいは母の記憶が飛んでいるだけなのかは定かでないが、親類縁者に外地からの引き揚げ者はいなかったようだから、家庭内の会話にもそういう言葉は出て来なかったのだろう。

(ついでに言えば、母は戦中に鬼畜米英と教わった記憶もないという。彼らの本土上陸を迎え撃つ竹槍部隊に編入されるにも、母は少々幼すぎた。むしろ戦後、進駐軍の兵隊さんたちを見て「なんてかっこいいんだろう」と思ったそうだ。)

いっぽう、大陸に取り残された孤児には母と同世代もたくさんいたはずだ。もし、母の両親が開拓団として満州に渡っていたなら、母の人生はどうなっていたことか。

そして、もしも日本を占領したのが米軍だけでなく、米英ソで分割統治がされていたら? もしも北海道がソ連領になっていたら? 歴史は韻を踏むというのが事実なら、「たられば」も決してナンセンスではなく、意義のある思考実験なのかもしれない。

最後に、そんなことを考えるきっかけとなった『日ソ戦争』について、おこがましいのは承知で少し感想を。まず、一貫して著者・麻田雅文氏の関連文献のていねいな読み込み具合に圧倒された。そうした史実に基づき淡々と筆を進めながらも、その合間には著者の様々な思いも感じられ、単なる学び以上にものすごく読み応えがあった(こんな表現しかできない自身のボキャ貧を呪う)。興味のある方はぜひ一読をおすすめしたい。

ちなみに、「あとがき」に刊行理由として「戦争の記憶の風化に抗いたいから」とあるので、麻田氏は私より二回り近く上の世代だろうと勝手に想像したら、最後のプロフィールで逆に一回り以上お若いと知って驚いた。

私は研究者でも作家でもないけれど、文筆業のハシクレとして、自分の書くものに対するこのくらいの真摯さを目指したいと思った。

19時の東の空を橋の上から

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