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どんな社会で死にたいか

伯母の葬儀があった。父の長姉、96歳だった。
父は5人きょうだい。それぞれの配偶者を含めて父方のおじ・おばは8人いたが、この4年半の間に、父に加えておじが3人、おばが2人亡くなった。男は全員80歳超え、おばは2人とも90歳超えだったので、寿命と言えば寿命だったのだろうと思う。

父方の祖父は私が生まれる前に55歳で、祖母も私が中学のとき(昭和56年)74歳で亡くなっているから、それに比べれば子どもたちはみな長生きだった。

わたしは平成26年から3年間ほど、福島県内の某町役場で広報誌づくりに携わった。小さな基礎自治体の広報誌にはたいてい「お悔やみ」の欄があって、遺族が掲載を希望しない場合を除き、その月に亡くなった町民の氏名と享年が公開される。その数字は、やはり平均寿命付近が多かった。

当時の仕事柄、わたしは同町の昔の広報誌も引っ張り出してきてよく参考にしていたのだが、昭和30~40年代のお悔やみ欄の享年は、驚くほど若かった。いちばん多かったのは60~70代だったように思う。50代40代もさほど珍しくなく、一桁の数字を見つけてびっくりしたのも一度や二度ではなかった。

「お悔やみ」と同じページに「お誕生」の欄もあった。これも希望者のみの掲載ではあるが、昭和の半ばと平成の最後では圧倒的に数が違った。お悔やみ欄とお誕生欄の長さが、完全に逆だった。

今となっては昭和レトロとして懐かしがられる昭和30~40年代の高度成長期、日本人の心配事は、認知症の高齢者や空き家が増えることではなく、人口が増えすぎて家が足りなくなること、そしてなによりエネルギー(電力)が足りなくなることだった。当時原発を誘致していたその町の広報誌には、その危惧がよく表れていた。

わたしが昭和39年に生まれてからたった60年の間に、世の中はこれほどまでに変わるのだ。わたしはさすがにあと60年は生きないと思うが、仮に伯母と同じ歳まで生きるならあと36年。その頃いったいどんな社会になっているのか、まったく知れたものではない。

今年の大河ドラマの舞台はめずらしく西暦1000年代だが、歴代の大河ドラマでいちばん多い舞台設定は戦国時代(1500年代後半)と明治維新前後(1800年代後半)だそうだ。

でも、人々が洋服を着て椅子に座り始める前の時代なら、どの大河ドラマもセットはたいがい似ていると思う。時代考証的に細部にこだわってる関係者のみなさん、ごめんなさい。でもわたしは正直、「光る君へ」のセットに「どうする家康」や「鎌倉殿の13人」の登場人物が表れたと想像しても、あまり違和を感じない。つまり、日本の家の造りとか衣類とか道具類などは、平安から江戸まで800年間以上、大した変化はなかったのではなかろうか。少なくとも庶民の暮らしにおいては。

それが、明治維新以降大戦までの80年間の変化はどうだ。その後、インターネットが普及するまでの50年間の変化はどうだ。その後、直近25年間の技術革新に伴う変化はどうだ。産業革命以降、人類はあらゆる方面で幾何級数的な発展を遂げているというが、この幾何級数的という現象は本当に恐ろしい。

生身の人間がついていける速度にはおのずと限界があるというのは、昭和生まれの人間の素朴すぎる感覚なのだろうか。

伯母の葬儀には小学生の曾孫たちも参列していた。彼らが90代になるころは、人間のサイボーグ化も一般的になり、「生き物」の定義すら変わっているかもしれない。火星移住も当たり前になっているのかもしれない。

どんな世の中であったとしても、その頃にはホモ・サピエンスを含むすべての「生き物」が本質的に今より幸せになっていてほしい。幸せに生き、幸せに死ねる社会であってほしい。ーーその前に人類が終了していない限り。

それを、傍観者としてただ祈るのではなく、今、自分にできることをしなければと思うのだが。

雲の宇宙船に乗って






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