別荘族になれなかった父
ワーケーションという言葉をひと頃ほど聞かなくなった気がする。コロナが終わったせいで流行らなくなったのか、あるいはみんなもう普通にやってるから取り立てて言うほどのことでもなくなったのか。たぶん前者のような気がするけど。
地方移住あるいは二地域居住ブームもしかり。一時は地方創生に思わぬ追い風?と思ったら、コロナ収束と共に東京がまた転入超過に戻ったのは周知のとおりだ。
ところで、二地域居住なんてかたい表現やワーケーションなんてカタカナを使わなくても、昭和の昔から事実上同じようなライフスタイルの人はいた。彼らは別荘族と呼ばれていた。
かのリゾートマンションブームが起きたのは昭和50年代だったらしいが、当時やっぱり正統派の別荘族と言ったら、関東では軽井沢とか葉山とか山中湖とかに昔から一軒家の別宅を所有する人たちのイメージだった。つまりは資産家・お金持ちであることが前提で、だからこそ「族」とついたのだろう。そこが「二地域居住」のフラットなニュアンスとちょっと違うといえば違う。
もっとも別荘だってピンキリだ。私も子どものころ、親に連れられて「別荘」というものに行ったことがある。地名は忘れた(←追記:母の記憶では箱根)が、着くなり掃除が大変だったことはよく覚えている。玄関を入るなりカビくさい。ブラウン管テレビの後ろにはクモの巣が張っている。周りは草だらけ虫だらけ。子どもの目にもかなり年季の入った家に見えた。おそらく夏休みの旅行だったと思うが、私の記憶にはその別荘に入ったときの薄暗くてちょっと気味悪い感覚しか残っていない。
後から聞くと、それは父が兄弟3人で共同購入した物件だったそうだ。彼らにも「資産家・お金持ち」クラブの一員と見なされたい願望があったのか。だけど、自営業の父や叔父たちが別荘に行って今でいうテレワークやワーケーションができたわけじゃない。3家族の利用頻度にはクモの巣が張るくらいのインターバルがあったわけだ。その別荘、いったいいついくらで売却したのか今となっては知る由もないが、まあ、バブル景気初期の当時はそういう「投資」も多かったのだろう。
ところで、いまふうの二地域居住やワーケーションができる人たちは「場所を選ばない働き方」ができる人たちである。で、なんとなく、世の中そういうライフスタイルを最先端でカッコいいとみなす風潮があると感じる。
経済紙誌を眺めていると「変化にうまく素早く対応できるものが生存適者であり、そうやって生き残れる者が強者である」という理論が通奏低音のように聞こえてくる気がする。メーカー法人であれば、作る場所も売る場所も原料調達先も、環境変化に応じて柔軟に変えられる会社。個人であれば、所属組織も働く場所も働く形態も住む場所も、環境変化に応じて柔軟に変えられる人。それが強者だと。
そのために必要な体力、知力、それらの諸活動の結果蓄えられた財力、それら諸活動を支える気力。それらは原則として、すべて本人の努力で獲得するもの。端的にいえば、いつでも動けるための自助努力を怠らない人が「強者」であり、努力を怠った結果、その場所から動けず変化に取り残される人たちは淘汰されても仕方ない。・・・はっきりそう書いてはいないが、日経新聞などからはそういうメッセージをひしひしと感じる。
だけど。
パソコン一つでアドレスホッピングできる人たちの日々の生活を支えているのが、働く場所を選べないエッセンシャルワーカーたちであることは、コロナ禍を経てみんなよくわかったはずじゃないのか。
そも現実問題として、ヒトの世の中が「強者=生存適者=いつでも動ける人」だけで構成されるという状態が可能なのだろうか。いつでも日本を見限って外国に逃げられるよう準備をしている人たち(グローバル人材?)ばかりになったら、いったい日本はどうなるんだろう。
開業医だった父も叔父たちも、別荘族としてはイケてなかったかもしれないが、地域医療を支える立派なエッセンシャルワーカーだった。父の後を継いだ弟もそうだ。そういう人たちがイケてない人たちとしてないがしろにされない世の中であることを切に願う。