妻の髪を売らせた自分の不甲斐なさが出世の原動力となった明智光秀の逸話
こんにちは、両兵衛です。
戦国逸話から現代の私たちにも通じるなと感じたことを取り上げています。
今回登場してもらうのは大河ドラマ「麒麟がくる」で取り上げられた明智光秀です。
「名将言行録」という逸話集を読んでいて、あれ?そういえば大河ドラマでは、光秀と妻のよく知られた逸話がこのままの形では使われなかったのではと思ったので取り上げます。
名将言行録に直接妻の名は出てきませんが、熙子(ひろこ)という名だったと伝わります。
光秀が貧賤な身だったとき、同僚たちが集まり食事を交えて談話する会を持ち回りで開催していた。
光秀が主催する順番がやってきた際、困り顔で熙子に打ち明けた。
「我らの朝夕の食事すらままならぬのに、客人をどのようにもてなせばいいのか…」
熙子は光秀に向かいこう答えた。
「私にお任せください」
やがて同僚たちが集まる日になると、これまでのどの家よりも豪華な酒と食事が出された。
客が全員帰ってから光秀は熙子に尋ねた。
「あのような立派な馳走をどのように調えたのだ」
熙子は黒髪を髻(もとどり)から切って市場で売り、酒と料理を買う元手としたことを告白した。
光秀は大いに感激し、身を立て家を興すことで、熙子の恩に報いることを決意した。
大河ドラマでは、たしか日々の生活費のため光秀が父の形見の数珠を市場で売ってきてほしいと熙子に頼みます。熙子は数珠の代わりに自分の帯を売ってお金に替えたという話ではなかったでしょうか。
この逸話自体は、熙子が光秀の顔を立てた、いわゆる内助の功です。光秀の立場に立ってみると、感激と同時に熙子に髪を売らせることなった光秀自身のことが不甲斐なく、とても悔しかったでしょうね。
やがて光秀は織田信長に出会うことで、その才能を開花させ出世街道をもの凄いスピードで進んでいきます。織田家中で最も信長に信頼され、あの羽柴秀吉よりも先に城持ちの身分となります。
光秀の出世の原動力は、きっと貧しい時代の熙子や家族に対する光秀自身の不甲斐なさや悔しさだったんじゃないかと思える逸話です。
今、自分事として考えたとき、思い通りにいかない悔しさや、くすぶっているなと感じたときこそ、支えてくれている人の存在を知る必要があるのではないか。
そして、自分の中の負の感情をエネルギーに変えて、周りの人たちの恩に報いるための行動を起こせよと。今回の光秀と熙子の逸話からそんなことを考えました。
光秀は、武将としては珍しく生涯ひとりの側室も持たなかったと伝わります。