「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を読んだら視覚障害について改めて考えるきっかけになった
アクセシビリティーにそこまでの強い関心はなかった僕が、同僚の伊原さんの影響で2018年の中頃に 自社サービスのアプリのVoiceOver対応 をしたことをきっかけに、アクセシビリティー関連の活動に携わるようになりました。そんな中、以前から伊原さんと交流のあった全盲のエンジニア中根さんが freee に仲間入りし、かれこれ1年弱になります。
中根さんとはVoiceOver対応でアドバイスをいただいたり、飲みに行ったり、帰り道が一緒だったりと、なにかと交流があります。そんな 中根さんと知り合った当初におすすめしていただいた本「目の見えない人は世界をどう見ているのか」が積読状態となっていたことに気が付き、アカンと思い読んでみました。
改めて「目が見えない」とはどういったことなのか考え直すきっかけとなったため、日頃の中根さんとのエピソードも交えつながら、本書の文中から気になった文を抜き出して僕が感じたことを書いてみました。
「なるほど、そっちの見える世界の話も面白いねぇ!」
木下さんが対談の途中で叫んだ言葉が忘れられません。そのとき、私は見える人にとって想像力とは何かを説明していました。想像力とは、いま・ここにはないものや場所について頭の中で視覚的に思い浮かべることである、それは一種のイメージだけど、実査に見えるものとは血がう、というような話をしていたのです。その話が、これまでの木下さんが不可解だと思っていたことの一つを理解するヒントになったようでした。そして木下さんは叫びました。 「なるほど、そっちの見える世界の話も面白いねぇ!」
「こっちはこんなだけど、そっちはそんな感じなんだ。へー」といったような、見える世界に対し興味深く面白がるよう(interesting的な)で、なんだか他国の同世代とお互いの文化や流行を話すような印象を受けました。(本書の中でも、中根さんと僕の関係でもそうですが、適度なサポートは必要なものの、あとはただの友だち、同僚といったライトに捉えればいいのでは最近思ってます)
彼らは「道」から自由だと言えるのかもしれません
木下さんと一緒に歩いているとき。その日私と木下さんは私の勤務先である東京工業大学大岡山キャンパスの私の研究室でインタビューを行うことになっていました。私と木下さんは大岡山駅の改札で待ち合わせて、交差点をわたってすぐの大学生門を抜け、私の研究室がある西9号館に向かってあるきはじめました。その途中、15メートルほどの緩やかな坂道をくだっていたときです。木下さんが言いました。「大岡山はやっぱり山で、いまその斜面をおりてるんですね」。私はそれを聞いて、かなりびっくりしました。なぜなら木下さんがそこを「山の斜面」だと行ったからです。毎日のようにそこを行き来していましたが、私にとってそれはただの「坂道」でしかありませんでした。
目が見えないからこそ、見える人には持ちえない観点で物事をとらえることができるんだなという気づきがあり、「目が見えない」ゆえの不必要な情報に縛られない「自由」な発想力や想像力、視点がそこにはあるんだと感じました。(似たような感覚があるか、中根さんにも聞いてみよっと)
視覚がないから死角がない
見えない人には「死角」がないのです。これに対して見える人は、見ようとする限り、必ず見えない場所が生まれてしまう。(中略)しかし、見えない人というのは、そもそも見ないわけですから、「見ようとすると見えない場所が生まれる」という逆説から自由なのです。視覚がないから死角がない。(中略)見えない人は、物事のあり方を、「自分にとってどう見えるか」ではなく「諸部分の関係が客観的にどうなっているか」によって把握しようとする。この客観性こそ、見えない人特有の三次元的な理解を可能にしているものでしょう。
「視覚がないから死角がない」うまいこと言うなあと思いつつ、「見ようとすると見えない場所が生まれる」という一文にハッとさせられました。大岡山駅のこともそうですが、改めて見える人と見えない人にとっての空間の捉え方について考えさせられる一節でした。
障害のある人の発言で笑う、という経験が新鮮
・全盲の木下さんは、まとめ買いしたレトルトのスパゲティーソースを、食べたいものが出たらアタリ、そうでなけばハズレといったように「運試し」、「くじ引き」のように楽しむ・回転寿司はロシアンルーレット、自動販売機もおみくじ装置と化す・都会の歩道に止めてある自転車や思いがけない突起など混沌とした道でさえも「富士急ハイランドの「最恐戦慄迷宮」だった笑」・障害のある人のこういったユーモラスのある発言で笑ったことに対し、 障害のある人の発言で笑う、という経験が新鮮
これはまさに私も同じ経験がありました。初めて中根さんとお食事に行った際、視力の話になり「目の見える人は歳をとったら老眼になるから、大変だねー」と中根さん。このブラックジョークに僕は一瞬戸惑いを感じつつも、笑わせようとしていることに気づいたので大声で笑いました。
中根さんは意識的か無意識的か分かりませんが、今思うと本書の中にもある「善意のバリア」という健常者が勝手に作ったバリアをユーモラスな言葉でほぐしてくれたように感じています。
まとめ
僕は中根さんと知り合う前は、電車や道路で白状を持っている方を見つけると「きっと何か困っているはずだ、何か助けてあげなきゃ」と思い込んでいました。それが中根さんと知り合ったことやこの本を読んだことで、必要以上の手助けは不要で肩の力を抜いて友だちのような関係でいいんだなと気づくことができました。改めて中根さんとこの本の内容を受けて、目の見えない方の空間の捉え方やユーモラスについて話してみようと思います。