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ほんとうに尊い人:サラリーマンが幸せになる方法 その45

これは、サラリーマンが幸せになるために「ありたい自分( being )を軸に持ち、ありたい自分を良好な状態( well-being )にし続けること」について書かれた note です。

私は40代男性シスジェンダー(心と体の性が同一)。性的指向はストレートで正社員の既婚子持ち。障害も難病もなく両親のルーツは日本人。現代日本においてどマジョリティとされる側。先日このことを強く意識させられました。そこで well-being の1要素である「社会的に良好」を目指すために、マイノリティとダイバーシィについて、あえて強者の立場から何が言えるのか試してみます。

若者というマイノリティ

先日「若者は統計上すでにマイノリティ」という話題がネットで賑わいました。子を持つ親としても気になるトピックだったので調べてみました。

■2019年の日本総人口における比率
・性マイノリティ:10.0%
(LGBT総合研究所調べ)
・15歳未満人口:12.1%(総務省発表)

この2つの情報が話題の元となったようです。
なるほどです。しかしミスリードされないようにファクトチェックしましょう。他の年代と、統計の取れている各少数派の数値も見てみます。

分類:人口(千人) / 総人口比率
ーーーーーーーーーーーーーーーー
総人口:127,167 千人
60代:16,232 千人 / 12.9%
50代:16,278 千人 / 12.9%
40代:18,519 千人 / 14.6%
30代:14,302 千人 / 11.3%
20代:12,627 千人 / 10.0%
10代:11,351 千人 / 8.9%
1桁代:9,860 千人 / 7.8%
障害のある人:9,360 千人 / 7.4% (※1)
性マイノリティ:12,738 千人 / 10.0%
左利き:約10%前後 (※2)

※1:当統計のみ2018年。それ以外は全て2019年統計。
※2:諸説あり。ただし他国比では日本は非常に多い。

なんと思ったより悪い結果となりました。20代以下を10年単位でみると、性マイノリティと同等もしくはそれ以下です。10代から下は10%を切っており、年々少なくなっています。(70代以上は亡くなる方も多いので比較対象から外しました)

1千万人を割った我が子のいる1桁代の世代は、私のいる40代のほぼ半分という状況なんです。

少数派マジョリティ

しかし数だけでマジョリティ・マイノリティが決まるわけではありません。例えば女性。2019年の統計では女性の比率は51.3%と、男性比率を抜いています。では女性はマジョリティかと言えば、近年マシになってきたとは言え、決してそうではありません

またアパルトヘイト時代の南アフリカでは圧倒的少数の白人種が支配者階級でした。これを少数派マジョリティと呼びます。

つまり数の比率はマジョリティ・マイノリティを決める要素の一つでしかなく、パワーバランスの方が重要です。性マイノリティの方々も、未成年の若者も、「数が少ないこと」が要因でパワーバランス的に弱者となってしまい、省みられない、または声が通りにくい立場だというわけです。

では女性のパワーバランスはなぜ弱いのか。

人間の歴史は戦争の歴史です。政(まつりごと)の本筋は戦争とそのための富国で、殺し合いの主役は男性でした。

近年になってようやく殺し合う政治から時代がシフトしてきたのですが、ほんの数十年前までの社会構造の延長線上に社会ルールが作られているため、男性が主体となった構造のままなのだと私は考えています。

役目が変わったのに、まだ役割は変わっていないのです。

中年男性であるということ

HUC(母親アップデートコミュニティ)の代表なつみっくすさんの note で、先日ある気づきをいただきました。

なつみっくすさんほどの方でも、女性として声をあげることに心が折れそうになったというのです。それもただ「女性だ」という理由だけで。

拝読してドキリとしました。

私は中年男性としてはまあまあフラットな考え方を持ち、偏見も、差別意識も少なく、弱者に手を差し伸べる立場を取ってきた「つもり」でした。

しかし私のような凡庸が、会社で働き方改革の活動を進められるのも、弱者に手を差し伸べられたのも、ただ単に強者の側に居たから出来たことだったのです。

もし私が女性であったなら「まず女性というハンディキャップを乗り越えるためにパワーを注いた上で、ようやく本来の活動ができるのだ」という事実に気づいていませんでした。女性というハンディキャップ。凄まじい言葉ですね。私なら、その壁を目の前にしただけで心が折れる自信があります。

つまり普段なにげなく同じ立ち位置にいる女性たちは、私なんかよりもよっぽど努力して困難を乗り越えそこにいるってことだったのです。なんという無駄な努力を強いられているのでしょう。そしてなんと尊い努力。

女性の方が有能、というのはそういうことだったのです。
そしてそれはその他のマイノリティにも言えるのです。

当事者意識

随分前のこと。整えられた薄いヒゲの似合う仲のいい後輩がいました。人好きのする彼が職場を辞める日に2人で送別会をしたときのことです。

「りょうさんにだけ言いますが、実は俺、体は女性なんです」
「上の世代の人には、りょうさん以外には言えないです」

ホルモン注射を続け、体の特徴にはすっかり男性性が強く出ていましたが、まだ体は生まれたときの女性性のまま。父親に勘当され、これまで歩んできた苦労話をさらりと話す彼は、いったいどれほどの困難を乗り越えてきたのでしょう。

私は、彼のカミングアウトのおかげで、性マイノリティの支援者という当事者にしてもらえました。10年以上前のことですが、彼の言葉は今でも私の誇りです。そしておかげでこの10数年間、襟を正せてこれたのです。

マジョリティとマイノリティを隔てるもの。

それは当事者意識ではないか、と思うのです。
自分事ではないから他人の痛みや屈辱や困難に気づかない。そして望む望まぬに関わらず、その加害者側だということに無自覚なのです。私たちマジョリティ側の問題とは、圧倒的な当事者意識の欠如なのではないでしょうか。

尊い人

コロナ禍により私の周りはすっかりリモートワークが主流となりました。すると何が起きたか。今まで出社困難・時短勤務だった人が活躍できるようになり、全員がフラットな状況に近くなりました。まさにブレイクスルー。

そんな中、コミュニケーション不足を問題視する人が現れました。しかし声をあげているのは適合できない中年世代がほとんどのような気がします。デジタルネイティブ世代はチャットやWEBミーティングで十分コミュニケーションできているように見受けます。

もし、このまま適合できないなら、私たち中年男性は数年後にはマイノリティです。そのカテゴライズが意味を持たなくなるからです。それよりは新しい世界で価値を出せる人、出せない人、で分けられてしまうでしょう。

もちろん実際に会う良さも当然あります。だからオン・オフの2択ではなく、自由に自分で選択できるグラデーションの世界が必要だと思うのです。

そのためにはマジョリティを攻撃し地位を貶める椅子取りゲームではなく、弱者を強者側に引っ張り上げ、その人の属性ではなく、個性や能力が適合するステージにマッチングさせることが大切だと私は思うのです。

女性・男性。
若者・年寄り。
性マイノリティ・性マジョリティ。

誰もが皆、尊い人です。

マジョリティ・マイノリティの対立構造ではなく、同じ方向を見て歩む世界。これが well-being な社会的に良好な状態なのではないでしょうか。

もちろん理想です。きれいごとです。
でも理想のない世界、きれいごとの言えない世界なんて悲しすぎるじゃないですか。

だから私は、弱者側の当事者意識を持つ努力をし続けようと思うのです。そのためにこの note でこれからも、きれいごとを書いていこうと思うのです。

まとめ

1.マジョリティは当事者意識を持つ
2.お互いがそれぞれの価値を尊重する
3.対立ではなく仲間。椅子取りゲームではない。

私もマイノリティとなる場所があります。子育ての現場です。ほんの5〜6年前まで父親一人で乳幼児を連れ歩いているのはレアケースでした。最近はずいぶん変わりましたが、未だ保護者のLINEグループでは男性は疎まれ、保護者会の主役は女性です。男性学については別途取り上げたいですが、誰もが弱者になりうる、という例だと思います。

マジョリティ側だっていつ事故や病気で要介護者、つまり弱者となるか分かりません。いまのポジションが不動だなんて思わない事です。たったそれだけで、立場の違う側の事情が理解できるのではないでしょうか。一日に一回、立場の違う側をおもんばかる。たったこれだけで世界は変わると信じています。

あなたの傍にいる立場の違う人をおもんばかる。そのヒントになれば幸いです。

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