飼う、ということ
連日ペットの話になります。
今日、少し考えさせられる出来事があったので残しておきます。
うちの子は、すっごく警戒心が強いです。保護ネコなのですが、うちに来た時も1ヶ月くらいずっと顔も合わさずひきこもっていました。
触れようとすると、シャーっと言って怖い顔をしました。
今では流石に僕たち家族に対してはもうありません。なんなら、犬のようにどこでもついてきます。
でも、家族以外の他人が家に来るとまた引きこもってしまいます。そして、間違えてそんな人と顔を合わせでもしたら大変なことになります。
そんな、臆病な子です。
ここから、今日あったことについて書きます。
家で少し工事をする機会があり、職人さんが一人、家に来ました。
怖がらないように絶対に職人さんと合わないように対策して、いつものようにそばにいてあげるようにしました。
ただ、家族の気の緩みから、開けないと決めていたドアを不用意に開けてしまい、部屋から抜け出してしまいました。
そして、職人さんと顔をあわせてしまったんです。
人が家にいるだけでも恐怖で動けなくなるうちの子が、直接知らない人と鉢合わせてしまったんです。
そこからの怖がり方は尋常ではありませんでした。
突然の発作のような怖がり方でした。瞳孔は開き、誰もいけないようなところに行き、体を震わせながら聞いたこともないような鳴き声で鳴いていました。それはいつもの優しい高い声ではなく、すっごく低くて威嚇するような声でした。
15分ほどでおとなしくなりました。ただ、そこから4時間ほど経った今でも、様子がおかしいままです。引きこもってでてきません。
そして、僕が考えさせられたのはある家族の言動です。
そんなことがあった後、家族のうちの一人が、再び開かないことになっているドアをまた開いたんです。
なぜ開けるのか聞いても、「もう大丈夫だよ」と。どうしても開けなければいけない事情があったわけでもありませんでした。
信じられませんでした。この時ばかりは相当腹が立ちました。
確かにうちの子は怖がっているので部屋の外に出ることはありませんでした。でも、やっていいことといけないことがあるのではないでしょうか。
家族の一員としてやってはいけないことだと思いました。もちろん、命を預かっているという責任、という側面もあります。
ただ、あまりにも事態を軽く捉えている。僕にとってその行為は、「自分(人間)が最優先でペットは自分の都合のいいときに可愛がればいいや」と思っているようにしか思えませんでした。
一度も聞いたことのないような声を出し、いつも甘えている家族さえも拒絶する、そんな状況。実際に様子をみればそのときどんなに怖かったかわかるはずなのに。自分に置き換えたらどんなに辛いことなのか想像できるはずなのに。それをしない。自分のくだらない用事のために平気で恐怖に晒す、傷つけるのを厭わない。
あまりにも配慮がない。配慮という以前の最低限のことだと思います。
そんな気持ちならペットを飼う、可愛がる資格なんてない。
そう、心から思いました。
家族には、そう伝えました。ただ、伝わっているかはわかりません。
ペットを飼う、とはなんなのだろう。
それを、この件を通じて改めて考えました。
それは、建前ではなく「家族の一員」として迎え入れること。そう思います。
決して、可愛がるためだけに、ステータスのためだけに飼うものではありません。くだらない人間のエゴにつきあわせていいものではないんです。
そんなに命は軽いものでありません。そして、その命一つ一つが尊いものです。
少し感情的になってしまいました。でも、どうしても書きたかったので残しておきます。
そんな小さな家族を、これからも一生大切に行きていこうと思います。そして将来、新しく命を預かるときも。自分が死ぬまで絶対に大事にしようと思います。
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