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アシュトンマニュアルは医療界へのメッセージ

久しぶりの投稿になります。今回は、予定を変更した内容となり、このシリーズを書き残そうと決めた、私自身の心的な背景を思いつくまま述べてみます。

さて、前回の投稿からどうしてこんなにも期間が空いてしまったのか?

それはこの作業が苦痛だから。

では何故苦痛なのか?

いくつかその理由は思いつきますが、一番大きなものは、このシリーズを書き上げたとしても、また大きなストレスに晒されるであろうことが予想されるから。

その予想されるストレスとは?

ある精神科医から、ボロクソに言われ晒されるかもしれないストレス。
恐らく、その精神科医と私の間にはバカの壁があって、私の思いが正しく伝わることは、きっとない。

私がこのシリーズを書き残さなければと思ったきっかけ。それは、その精神科医が私の発言を誤解したまま、彼が世間に発信する恐らく主力の読み物の中で私のことを批判的に晒しているから。私が言いたいことはそうじゃない。。

相手は医師。一般論として、医師とは、自尊心が最も高くなりがちな職業領域で生きる人であり、それ故、医師とは「ごめんなさい」を言うのが最も苦手な人種。そんな医師に抵抗しても更なるストレスに苦しむことは目に見えている。

でも、この薬禍において、処方薬の害だけではなく、精神科医との意思疎通に苦しんだど真ん中の当事者として、せめて、その医師以外の、この問題に興味のある人たちには私の真意をありのままに知って頂きたい。

なので、時間がかかっても、このシリーズ、アシュトンマニュアルにまつわる私の思いを書き残していきます。私はアシュトンさんの信者では決してなくて、ましてや彼女が作成したマニュアルが唯一の正しい離脱法などと主張したいのでは決してありません。そんな思いは1ミリもない。

アシュトンマニュアル日本語版の最後に添えた「翻訳を終えて」でも述べた筈ですが、日本語版の公開は各方面へのメッセージだったのです。

翻訳をしたのは医療専門家とは遠く離れた一般人
医師から長期服用して大丈夫と言われた薬を飲み続けた日本人とニュージーランド人

非専門家の二人が翻訳に込めたメッセージとは、関係する専門家の皆さんに、彼ら自身の救いようのない不勉強や不作為を自覚して頂くこと

そこをメインの論点にしないアシュトンマニュアル論など意味をなさない、とさえ思っています。

応援して頂けると幸いです。

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