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大人の定義

大人っていったいなんなんだろう。
たまに哲学的な悩みに陥ってしまう。

今自分が子供じゃないことはわかっている。
成人して、働き始めて、自分で稼いで生活している。
そういう意味で自立はしている。
かといって一人で生きていけているわけじゃなくて、
いろんな人に支えられながら生きていることに違いはない。

マインド的にはどうだろう。
恥ずかしながらまだまだ大学生な自分が抜けない感じである。
もちろん一社会人としての自覚を持ち行動はしているつもりだ。
だけどどこかまだ気持ちは大学生なのだ。
大学の友達とも定期的に会うことがあるが、懐かしい感じがしない。
さも当たり前のような感じ。

体もまだまだ動くし、若い気持ちでいるのかもしれない。
年齢への抗いなのかもしれない。
だけどもう25歳。
「いやいやまだ25歳じゃん」という声もあるかもだが、
20歳よりも30歳の方が近くなってきた今に驚きを隠せない。

子供の頃描いていた20代後半ってもっと❝大人❞だった気もするな・・。
なんて考えたりもする。

そこでふと立ち止まった。
いや、大人ってなんだろう。と。

あの頃、描いていた大人って、体の大きさとかお金を持ってるかとかそういった目に見えてわかる部分だった気がする。

それでいうとまだまだ子供なんじゃないかな、と思う。
でもそんな単純なことでもないなって。
そんな時、あるフレーズが目に留まった。

わたしの思う大人の定義、それは「どんな時でも言葉を疎かにしない」人

「これだ」と思った。今後変わっていくかもしれないし、追加されていくかもしれない。ただ少なくとも今の段階ではこれだな!と。

子供の頃って何かと自分の感情で相手を支配しようとする。
赤ちゃんがいい例だ。
ちょっとでも居心地が悪くなると「泣く」。泣いてそれをアピールする。そして周りにサポートをしてもらう。赤ちゃんはそれでいい、むしろそれが仕事だ。でも大人になってもそれじゃあいけない。

だから私たちは言葉を覚える。言葉で伝える。

それでも自分にとって都合が悪くなると、それを態度で示したりキツイ言葉選びになったりすることがある。そういう時に「まだまだ子供だな~」と感じる。

本当の大人って、そういった自分にとって都合の悪い時でも言葉選びに気を遣える人なんだと思う。これって別に自分の感情を殺すわけじゃない。自分の意見を伝える、相手の意見も聞く、そのうえで最適解を見つけだす。その時に主観に頼りすぎない。あくまで事実に基づく。そんな冷静さを持ち合わせた言葉選びなんじゃないだろうか。

そういった意味でもわたしはこのnoteという場を通じて、「大人になる練習」をしているなと思う。
自分の中でモヤモヤしていることとか、日常の中で「ん?」と思うことを記事にすることがあるから。その感情をアウトプットする時、何も考えずに感情に任せると棘がついてくる。だけどnoteという1枚のフィルターが入ることで、距離を置いて言葉を選ぶことができる。

言葉を疎かにしない練習、大人になる練習ができている。

早く素敵な大人になりたいな。

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塩浦良太
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