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それでも自分は「知る」を選びたい

「知る」ことの功罪ってあると思うんです。
いきなりなんだ、という感じですが。

まずもって『功罪』とは何なのか。

功罪:功績と罪を表す言葉。つまり人や行為において良い点と悪い点のことを指す

とのこと。それを踏まえた上で今回の記事を読んでいただきたいなと。


”選択肢を増やす”、何か目標を掲げる際、そう掲げる人も少なくはないんじゃないでしょうか。自分も就活の時、言ってたなと。

自分で言っておきながらなんですが、選択肢を増やす、選択肢がある、ってとても大事なことだと思うんです。選択肢がないことでの選べなかった時の無力感を私は知っています。自分の手じゃ何も出来ない感じ、切ないです。

でもじゃあ選択肢は多ければ多いほどいいことばかりなのでしょうか。

私はそうとも思いません。
選択肢が増えるほど当然ですが選ばないといけません。自分の中で選ぶ基準があれば別ですが、ただ選択肢を持っているだけの状態だとかえってそれはしんどかったりします。「選ぶ」って勇気のいる行為なんです。なぜなら「選ばなかった」ものたちが脳裏にチラつくから。


知っていることが多い人の方が行動の幅は広がります。
前もっての準備が出来ます。

その一方で知っていることで躊躇してしまうこともあります。
知らなきゃ良かった、、と思うこともあります。


「知ること」にはいい部分もあれば、悪い部分もあるんです。
もしかしたらこのこと自体も”知らなきゃ良かった”かもしれません。


みなさんは、「知ること」と「知らずにいること」どちらか選べる状態にであった時、どちらを選びますか?
「知ること」の良さがあれば「知らずにいること」の良さもある中で、どちらかしか選べないと言われたらみなさんはどちらを選びますか?

知らないことの良さがあることを考慮したうえで、
それでも私なら「知ること」を選びたいなと思います。

知ったうえで、いいことも悪いことも真正面から向き合い、自分の頭で考え、選択・行動していきたいなと。それはきれいごとかもしれないけど、きれいごとでもいいと思っていて。

そうやって真正面から向き合って感情が揺さぶられることこそが「生きている」ことの醍醐味なのかなとも思ったりするんです。


もちろん「知らずにいること」を選ぶのも正解です。
要はここでもそうだけど、
自分が選んだものに対して自分なりの考えがあるかってことが大事なのかな、と。

そんなことを思いながら今日も過ごしてましたとさ。

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塩浦良太
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