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言葉のあや
発する言葉に対しての責任、というのは言葉をより丁寧に扱うことが求められる立場になるからこそつくづく感じている。
例えば「いついつまでにやります」と言ってたのに全く反応がない、とか、「行けたら行くね」と言って来ない、とか。めちゃくちゃ身近なところで例をあげたけど、そんな「いや、言ってた話と違うやん」ってことあると思う。
これって言った本人の感情って、もちろん宣言をすることで自分にそう言い聞かせて退路を断つみたいない意味合いを持つことはある。それだったらいいんだけど、場合によってはその場をしのぐために「いいこと」をその場では言い切って相手に期待させて、蓋を開けてみたら、、、みたいなパターンもある。話が上手い人ほど後者なんじゃないかって。
自分だってそうなっていないかは、ちゃんと向き合っていかなきゃいけないところで。やっぱり人間弱さが出るから、聞こえのいいことを言ってその場を丸く収めることがあるはず。でもって、言うこと自体は悪くなくて。ただ、言ったらやれ、出来なくても過程は述べよ、というわけで。
これの良くないのって、言われた側はまず期待をしてしまうことにある。特に素直な人とかだとそう。
ただ見事にその期待は裏切られていく。するとどうなるか、「期待することが間違っていたんじゃないか」と思うようになってしまう。結果その人を信じられなくなっていく。でも立場が弱いと、信じることしかできない。だから「早く自分が力をつけないと」「信じられるのは自分だけだ…」とちょっと歪んでしまう。
そんな経験は幼少期から現在まで何度も経験してきた。ただ、もしかしたら自分も誰かにそういった想いをさせていた可能性があるかもしれない。もちろん、自分が言った言葉に対しては責任を持とう、というスタンスは意識づけていたが。気づいていない部分があるかもしれない、ということには気づいていたいとも思っている。
優しい人がその優しさで苦しくなっちゃいけないし
素直な人がその素直さで我慢しなくちゃいけないことなってあってはならない。
でも現状、そういった人たちが我慢したり苦しくなったりしている側面も多い。そうならなくてもいいようにするにはどうすればいいか、それはパッとはわからない。ただ少なくとも今からできることは、自分が言うことに対してはちゃんと責任を持つ、ということ。言われたことに対しては相手にリマインドをちゃんとしていくということ。
言うがままにしちゃいけないし、されるがままにもしちゃいけない。
そんなことを思った。
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