見出し画像

ずっと「今」を生きるのに必死だったし、これはずっとこれからもそう。

#就労支援の現場から

「塩浦さんは数年後の自分がどうなっていたいかとかありますか?」

先日、移行支援のプログラムの一環で年間目標を立ててもらっていた。その中である利用者さんがそう質問してきた。

私は言葉に詰まってしまった。

別にやりたいことが何もないわけじゃない。
やりたいこととかありたい姿とかはある。

でもじゃあそれが鮮明に道として、「〇年後にこれやって、〇年後にあれやって、、」と決まっているかというと全く決まっていない。これは就活の時からずっとそうだった。


自分ってつくづく「生きるのが苦手だな」って思うことがある。

何かあるとすぐ悩むし、気にするし、落ち込むし、それでいていいことがあるとすぐ浮かれるし、すぐワクワクするし、自分にとって都合が悪いことがあるとその場しのぎしようとして後々「あちゃー」ってなるし。

これも全部、小さい頃はずっと「今を生きることに必死だった」ところからきているんじゃないかと個人的に分析する。正直な話、先を考えている余裕なんてなかった。

どうすればテストでいい点数をとれるか。
どうすれば成績よくいられるか。
どうすればみんなから信頼してもらえるか。
どうすれば、どうすれば、どうすれば。

そうやって目の前に現れてくる「どうすれば」の壁を1つずつ乗り越えていくことでようやくその先のステージが見えるような環境だった。

まずもって先に道なんかなかったから自分で作っていくしかなかったし、後ろを振り返れば常に崖だった気がする。

なんだか抽象的な話ばかりでごめんなさい(笑)
でもそれくらい、言えることと言えないことというかまだまだ自分でも言語化しづらい部分でもある。


今を生きるのに必死で、今がよければまず一安心だから結果的に目の前のことに一喜一憂しちゃうことも増えた。

そのたびに「生きるの下手だな」と思うこともあったんだが、でもなんだかんだ上手くいってるし、あとで思い出したときに笑って懐かしむことが出来ているから、自分が思っているより生きるのは下手じゃないのかもしれない。


そうやって過ごしてきた子ども時代を終え、大学を卒業し、社会人になった。これから先の人生の方が長い。じゃあどうしていくか。

まだあんまりよく見えないんだ。

個人的には社会人になって新しい人生がようやく始まった感じがしている。初めて「自分のための」人生が始まった気がしている。

よく仲のいい友達や信頼している先輩には言うのだが、

「大学を卒業したことで1回自分の人生はミッションクリアした感覚」

なのだ。

生きる使命を果たしたというか、なんというか。

両親が離婚して父と父の実家に行ってからの日々は、”なんとかおじいちゃんおばあちゃんが安心して社会に送り出せる人間になる”ことが人生のテーマになっていた。

だから「先を考えた経験」がなかった。というのは結局逃げで、「先を考えることから目を背けていただけ」だった。


これからやっとドシッと構えて考えていく。
今はパッと答えられないけど考えて行動して探っている。
なので今の自分が言えることとしたら

「浮かばなくても考えることは大事だよ」

ってことくらいかも。

でこの先、上手くすれば将来のことが見えるようになってくるかもしれない。そういった意味では「変わっていく」かもしれない。

だけど「変わりたくない」部分もあって。
やっぱり「今を生きる」っていう部分は変わりたくないなと思うんだ。

将来を考えてその将来まで生きていられる保証はないし、将来を考えてそこから逆算して段取りをとれるほど器用な人間でもない。

将来はあくまで「旗」であり、結局は今の積み重ね。
それが自分なんじゃないかなと思っている。


ずっと「今」を生きるのに必死だったし、きっとこれからもずっと今を生きていくのに必死なんだろうなと思ってる。

いいなと思ったら応援しよう!

塩浦良太
今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!