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言語化って思いやりの1つなのかもしれない

「言語化」についてはこれまで何度も考えてきた。

ただ、これまでの言語化について考えてきた記事ってどちらかというと「自分視点」だ。自分にとって言語化がどういうものか、という感じ。今回はまた違う視点、誰かに対しての言語化について考えていきたい。

というのも、Spotifyでポッドキャストを聞いていてある言葉が印象に残ったから。それは、フジテレビアナウンサーの宮司アナがやっている「宮司愛海のすみません、今まで黙っていたんですけど…」だ。

人気アナウンサーでありながら、ポッドキャストを聞いていい意味で人間臭い部分がたくさんあり、共感し、虜になって聴き始めた。

印象に残ったフレーズがあったのは最新回。

「私はインタビューをするとき、「いかがですか?」とか「どうですか?」を意味なく使わないようにしている。聞き手がある程度範囲を狭めてあげないと相手が困る。それが相手への思いやり。細かな表現までしっかりこだわるというのを諦めたくない。」

という言葉。ながら聴きしていたが、思わずスマホのメモを開いてメモをした。本当にその通りだな、って。

昔の自分だったら特に引っかからなかったかもしれない。自分のことで精一杯だったから。言葉にそこまで意識を向けたことがなかったから。

今、何かと「表現する機会」が増えている。

例えば、就労支援の現場。
利用しているご利用者様に言葉で説明をする機会が当然のようにある。「伝わる」伝え方をすることの難しさを痛感する。特に失語の方などは、行間を読むということは難しかったりする。

そういった方々に対して抽象的な言葉は親切じゃない。
言葉を分解して、理解できる段階まで分解してお伝えする。

採用面接やカジュアル面談を行う学生に対してだってそうだ。
こちらからの質問の仕方によって学生が答えやすいかどうかが決まってくる。答えられない学生が悪いのではなく、答えづらい質問をする側が悪いんだ。そう思っている。

あえて抽象的な質問を投げかける時もある。
でもその時は”そうする”意味を伝えたいと思っている。

そんな感じで「伝える」機会が多くなったからこそ、ラジオから流れてきた言葉にアンテナが反応したんだろうな。

言語化って思いやりだ。
会話って共同作業だ。
キャッチボールだ。

投げっぱなしの個人プレーじゃだめ。
相手が次に投げやすい所にボールを投げてあげる。
そのお膳立てに労をいとわない。

せっかく身につけた言葉、磨いてきた言葉、
自分のためだけじゃなくて自分の大切な人たち、
大切にしていきたい人たちにも使っていきたい。

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塩浦良太
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