思っているよりも、出来ている。
ポジティブとネガティブ。
世の中にはそんな言葉がある。
ものすごく端的に表現をするのであれば、
ポジティブ=前向き、楽天的
ネガティブ=後ろ向き、悲観的
じゃあ自分がどっちかと言われたらあなたはどちらだろう。
もちろんポジティブな要素も、ネガティブな要素も入り混じって構成されているのが人間ではあるが、私はどちらかというネガティブな人間だ。
出来たことよりも出来なかったこと、いい思い出よりも苦い思い出の方が残りやすいタイプ。
どうしてだろう。
あんなに楽しかった出来事や嬉しかった出来事が多かったのに、振り返るといつも頭に浮かんでくるのは大変だったこと、辛かったこと。
でもこれはしょうがないのかもしれない。
日々怒涛のように押し寄せてくる荒波の中を生きていると出来たこと、出来なかったことが交互に押し寄せつつも「出来なかったこと」の存在感が勝る。それをまた思い出す。思い出すたびに記憶は固定される。結果その存在感が大きすぎて、小さな出来た、小さな嬉しいは押しつぶされ、ごちゃごちゃになってしまう。
だけどこのことを決して悲観的には捉えていない。
むしろいくつもの「出来なかった」があるから次は出来るようになりたい、という決意に変わるし、いくつもの「辛かった」があるから他の人にはこんな思いになってほしくない、という行動に変わる。
だから決して無駄なんかではなかった。
そうなんだけど、でも胸に留めておきたい言葉がある。それが、
ということ。
出来なかった経験が自分の糧になるのだから、出来た経験はもっと糧になる。たとえそれが小さな出来たであっても、自分にとってはすごい意味のあることというのは忘れたくない。
それに数えてみたら案外「出来た」の方が多いかもしれない。当たり前になりすぎて「出来た」にカウントしてないだけで。
最近印象的な言葉に出会った。
すごくハッとさせられる言葉だ。すごい、すごくないって誰かと比較するものじゃない。そもそも「当たり前」なんてただでさえ不確かなものなのに、それを他人と比較しだしたらなおさら不確かなものになる。
「ひとつの「出来た」を何度も味わう」
きっとうれしい出来事や、ちょっとした喜びは日常の至るところに転がっている。それにしっかりとアンテナを張ることを意識し続けたい。意識的に行わないとすぐ忘れてしまうから。すぐ「当たり前」カウントしてしまうから。
そのためには毎日毎日の振り返りが必要で。
「出来た」てホヤホヤのうちに、自分にとって大切な思い出として残しておく。この積み重ね。
自分に対してどういった対応をしてあげると同時に、自分の身近な人に対しても同じように「出来た」を見つけて、伝えていきたい。
と伝えていきたい。
そうやっていくことで自分に対して自信を持ったり、自分のことが好きになったりする人が増えていけば、今よりもっと温かい世界になっていくんじゃないかな。
まずは自分がそうなれるように、自分に伝えていきたい。