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自分の感受性くらい

年末にまた素敵な言葉に出会った。
Spotifyで聞いていたラジオにて、そこで話していた方が紹介した詩があった。

詩のタイトルが、「感受性くらい」
茨木のり子さんという方の詩だ。

「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい自分で守ればかものよ

忙しくなったり、余裕がなくなってきたり、自分にとって都合が悪くなったりすると原因を外に求めてしまいたくなることってある。

自分が変わったんじゃなくて、周りが変わったんだ、って。

でもそんなこと言って何か変わるのだろうか。
変わったとしても、”そう”言うことによって思い通りになっていくことを、本当に望むのか。

もちろん妥協しちゃいけないことはあるし、主張をした方がいいことだってある。そうはいってもそこに全ベットするのは危険だってこともある。そもそも誰かに舵を任せちゃっていいのか、って話でもある。


自分の感受性くらいは自分で守っていく。

そのために自分は何をするのか、周りに何をお願いしていくのか、こういった整理が必要なんじゃないかと。


今ちょうど、自分自身の「行動指針」をつくっているタイミングで。
大きな指針の1つが決まった。

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塩浦良太
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