言葉と自分
定期的に「自分って生きるの向いてないなぁ」って思うことがある。
これは病んでるとか病んでないとかじゃなくて、もう生まれ持った性質なのか考えすぎてしまう自分の特性なのか。これが深いところまで落ちていくと気づかぬうちに病んでしまうこともあるけれど、こうやってアウトプットできている段階はきっと大丈夫。
どうして「生きるの向いてないなぁ」って思うかというと、言葉に影響を受けやすいから。
ちょっとしたトゲでも深く傷ついて、その発言の意図を考えて、自分がやってしまったミスを顧みる。考えれば考えるほど自分の至らなさに落ち込む。それでいて感情が先行するので、つい思った言葉が口に出て後悔することもある。
調子がいいときは思ったことを口にする前に立ち止まることができるのだが、自分に余裕がないときはそこの歯止めが利かなくなっちゃうことがある。自分のだめなところだ。
だからこそそういっただめな部分を自覚・認識しようと、こういった「noteで毎日アウトプットをする」「言葉にこだわる」ということをしているんだけど、それでもまた感情が先行してしまうことがあるから難しい。
また、自分とは全く関係ないところに向けられているトゲでも、なぜか自分事化してしまうことがある。勝手に自分事にして勝手に傷つく。生きづらいな、って思う。
そういった意味で自分は繊細なのかもしれない。だけど余裕がないと鈍感になってしまう。本当にもう、、、って感じ(笑)
でも言葉に敏感で傷つきやすい自分だけど、悪いことばっかりじゃないと思っている。
感動的な言葉に触れるとすぐ涙出ちゃうし、前向きな言葉を聞くとなんだか自分までエネルギーが湧いてくる。たとえそれが自分に向けられてモノではなくとも、ここでもお得意の「自分事化」する力がはたらく。
おかげさまで周りから受け取る言葉で感情がジェットコースターみたいになることがあるけれど、これも自分だよなって受け入れられるようになってきたのは最近のこと。
ちょっと嘘ついた。
まだ受け入れられていない自分もいる。(笑)
やっぱり落ち込んでいるときはダメージ受けやすい。
でもちょっとずつ「それも自分」ということを認識できるようになってきたのは本当だ。
だから、だからこそ自分が自分にかけてあげる言葉には気を付けていきたい。それは別に自分を甘やかすとかそういうわけじゃなくて、その瞬間その瞬間に合った言葉を探っていきたい。
自分の言葉で自分自身の感情を操れなかったら、自分の感情はもう宙ぶらりんだ。
そういった意味でこのnoteって自分で自分に言葉をかけてあげられる場で。それを俯瞰的に受け取れる場で。
落ち込んだ時にかけてあげる言葉。
自分を奮い立たせる時にかけてあげる言葉。
反省したい時にかけてあげる言葉。
などなど。
自分にかけてあげる言葉のレパートリーを、どんどん増やしていきたい。
今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!