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自由って、きっとそうじゃない。

TwitterにInstagramにnoteにFacebookにTikTokにYouTube、
最近はTheadsに。

発信したい時に発信したい方法で発信できる。

世の中はまさに”大発信時代”

しかもこれらの発信ツールって、ある程度の規制は
あれどそんな規制ほぼないに等しく自由に投稿できてしまう。

しかもしかもそれは何か書類を結んで印鑑を押して契約して、、、
とかそういうのじゃなくて。

パソコン1つ、スマホ1つで準備でき、
ワンクリック、ワンタップでそれが世界中に拡散されていく。

どこかの事務所に所属していない、個人の発信であれば、
それを投稿する前に確認してくれる人もいない。
自分の判断で投稿ができる。


いわば、するもしないも、
何を発信するも「自由」というわけ。


でもちょっと立ち止まって「自由」について考えてみたい。

「自由ってそもそも何なんだろう?」

と。

よく言われるのは、「自由=責任」ということ。
そしてそれが正解だと思う。

子供の頃とかは自由が少なかった。
なぜなら「責任を負えないから」。

だから親や先生、地域の皆さんに守られて育ってきた。

そこから段々年齢を重ねるたびに、やっていいこと、
悪いこと、事の善悪などを覚え、徐々に自立していき、
自由が増えてきた。

自由って”なんでもしていい”わけじゃなくて、
”自己管理”できるから自由が与えられるわけで。

段階を踏んでいくことで与えられる自由の裁量が増えていくわけで。

それなのに最近は子供のうちから
スマホだったりパソコンだったりが手元にあることで、
自由の境界が見えづらくなってきた。

じゃあ大人だったら自由を与えてもいいのかというと話は別で。
大人でも自由の意味をはき違えている人は少なからずいると思う。


自由って誰かを傷つけたり、嘲笑ったり、
攻撃したりするのも自由なのだろうか。

いや、絶対そうじゃない。



自由って自分の好きを表現したり、知ってほしいを表現したり、
そういったプラスの輪を広げていくために使うものだと私は思っていて。

ここの、

自由の持つ意味と使い方

はずっと向き合っていきたいところだなって思う今日この頃。

もっと自分の一挙手一投足に責任をもっていかないと。

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塩浦良太
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