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人柄と文章の関係性

色んな投稿をざーーーーっと流し見ている時に、すごく共感するものがあった。

「この人の書く文章好きだなぁ」と思う時、実際に話すとすぐに好きになってしまうし、「この人の言葉遣い、表現、しぐさ好きだなぁ」と思った人が書く文章もすごく好みであることが多い

これに尽きるな、と思っている。

もちろん、人によって「好き」の解釈、価値観は違うので全員に当てはまるとは言えないのかもしれない。ただ少なくも自分は、その価値観に納得する。

noteで触れる、自分にとって好きな文章を書く方々には直接会うことは出来ない。ただそこに関しては、「きっと素敵な方々なんだろうな…」というのが容易に想像がつく。

だから自分の中で冒頭に紹介した解釈が当てはまるのって、どちらかというと直に触れる人たちの関係性の中で。それかもしくは、テレビとかラジオとか、そういったメディアに出てくる著名な人たちのことで。

映像での姿も知っている、文章での姿も知っている人たちのこと。


リアルな世界で言うと、

「この人、何か惹かれるな」
「この人についていきたくなるな」
「信用してみたくなるな」

という人は、大抵その人が書く文章やその人が打つメールなど、紡がれる文章がすごく好きだ。

メディアに出ている人たちでも、

「この人の雰囲気好きだな」
「この人の立ち居振る舞い素敵だな」
「この人の考え方好きだな」

という人が書く本や文章には、大抵自分の中の好きがつまっている。

そういった関係性からも、好きな文章を書く人と人柄が好きな人はイコールになってきているな、というのが自己分析だ。


自分の中で「嫌い」という感覚はあまりないので、
「好き」「それ以外」という感覚に分けた時、そのギャップは何かというのを考えてみた。

表現がうまいとか、言葉選びがうまいとか、礼儀作法がしっかりしてるとか、そういうのも多少関係あるのかもしれないけどそれが中心かというとそうじゃなくて。

自分の中で腑に落ちたのは、「配慮」

配慮の中にはもちろん言葉選びも含まれるし、礼儀作法もあった方がいい。でもそればっかりじゃない。

カッコいい言葉がたくさん使われていても、順番がぐちゃぐちゃだったら何も伝わらない。それなら誰もが知っている言葉を、適切な順番で並べてくれる人の方が好きだ。

丁寧であることも大事だけど、丁寧の一辺倒であることは時に逆効果だと思っていて。相手との関係性に応じた、ポジショニングの変更ができるのも素敵な人だと思っている。

これらは総じて「配慮」かなと。
配慮というのは、相手のことを考えての行動。ただそれが自分の独りよがりになってはいけないから、「相手を知る」ということも怠ってはいけない。

つまり「相手を知ろう」としてくれている人が、一番好きなのかもしれない。その積み重ねが結果として、自分の思う「いい文章」に繋がっていく気がしている。

これは自戒の言葉でもある。
自分を貫くのもいいけど、相手を知ることはもっと大事。相手を知るためには、興味を持つことが大事。そんなことを意識していきたい。

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