ノーブ効果について進化心理学から考える
1. ノーブ効果とは?
まず、以下の文を読んでください。
ある会社の副社長が会長のところに行き、「新しい事業計画を始めようと考えています。新事業は会社の利益増大につながり、同時に自然環境の改善をもたらします」と言いました。会長はそれに答えて、「それが環境に良いかどうかは全くどうでもいいことだ。私はできるだけ多くの利益を得たいだけなのだ。新事業を始めようではないか」と言いました。彼らは新事業を開始し、予想通り、環境は改善しました。
質問です。この会長は、意図的に環境を改善したと思いますか?また、会長の行為はどの程度賞賛に値すると思いますか?
では次に、以下の文を読んでください。
ある会社の副社長が会長のところに行き、「新しい事業計画を始めようと考えています。新事業は会社の利益増大につながりますが、同時に自然環境の悪化をもたらします」と言いました。会長はそれに答えて、「それが環境に悪いかどうかは全くどうでもいいことだ。私はできるだけ多くの利益を得たいだけなのだ。新事業を始めようではないか」と言いました。彼らは新事業を開始し、予想通り、環境は悪化しました。
また質問です。この会長は、意図的に環境を悪化させたと思いますか?また、会長の行為はどの程度非難に値すると思いますか?
哲学者のジョシュア・ノーブは、ニューヨークの公園にいた人たちに、上記の事例のどちらかをランダムに提示し、回答を集めました(1)。これらふたつの事例は、「環境改善」と「環境悪化」ということ以外には基本的に変わりません。しかし、回答者の判断は事例のあいだでかなり異なっていました。環境改善事例を提示された回答者はその77%が「会長は意図的に改善したのではない」と思ったのに対し、環境悪化事例を提示された回答者は82%が「会長は意図的に悪化させた」と思ったのです。これは統計的に意味のある偏りでした。つまり、行為が意図的であるかどうかについての人々の判断には、ある種の非対称性があることが明らかになったのです。
ノーブはもうひとつ、やはり行為の副作用が道徳的に良い結果をもたらす事例と悪い結果をもたらす事例を用意し調査をしましたが、こちらについても同様の結果が得られました。この、ある行為の副作用が道徳的に悪い場合には行為者が意図的にそれをもたらしたと判断されやすく、道徳的に良い場合には意図的にもたらしたのではないと判断されやすくなることは、「ノーブ効果(Knobe effect)」あるいは「副作用効果(side-effect effect)」と呼ばれています。
2. ノーブ効果はなぜあるのか?
ノーブ効果については、これまでにかなりの数の研究がなされています。それらについては優れた総説があるので、そちらを参照してください(2)。なぜこのような効果があるのかについては、主に概念分析や意味論、あるいは心理的プロセスの観点から考察されてきましたが、私は、これが適応の観点から解釈できるのではないか、ということを考えました。ノーブ効果はある種の認知バイアスとして捉えることができます。認知バイアスは合理的なものではありませんが、もし何かしらのバイアスをもつことによって適応度が上がるのであれば、そのような認知が進化するでしょう。自然淘汰において選ばれるのは、合理的な形質ではなく適応的な形質です。実際に、ヒトがもついくつかの認知バイアスについては適応的な視点から明らかにされてきました(3)。では、ノーブ効果の非対称性にはどのような適応度上の利点が考えられるのでしょうか。
そもそも、他者の行為が意図的かどうかを判断することに、どのような意味があるのかということから考えなければなりません。哲学には「行為の哲学」という研究領域があり、ノーブ効果はこの行為の哲学における意図性の問題に議論を巻き起こすものでした。ただ、意図性について考える際には、「自分の行為の意図性」と「他者の行為の意図性」は別のものだということを認識しておく必要があります。自分自身の行為がどの程度自由意志に基づいて行われているのか、というのは大きな問題ですが、他者の行為が意図的かどうか、あるいはその意図性がどの程度強いものなのか、ということは、行為者とは関係なくその観察者が判断することです。つまり、他者の行為に意図性を帰属することが観察者にとって利益をもたらすのなら、観察者はその行為を「意図的である」と判断するでしょう。当たり前ですが、意図というものは物理的には存在しませんし、直接観察できるものでもありません。一方で、行為は実際に見ることができますし、何らかの結果をもたらします。そこに概念である「意図」を帰属することに、どのような利点があるのでしょうか。
ひとつ考えられるのは、特定の相手の行為について、それが意図的なものである、という前提を置くことで、その相手の今後の行動について予想しやすくなる、ということです。行動が全くランダムに行われるのなら、次の行動について予想するのは不可能です。しかし、ヒトだけでなく多くの動物において、個体の行動はランダムに決まっているようには見えません。程度の差はあれ、何かしらのパターンに従っています。行動をコントロールしている主体があり、そこにはある程度の一貫性があると仮定することで、次の行動について予想することが可能になるのですが、私たちはその主体を「心」と呼んでいるわけです(4)。意図とは大辞林(第四版)によると「何かをしようと考えること」「こうしようと考えていること。めざしていること」ですが、次の行動について予想し、それに対応するためには、相手が何をしようと考え、目指しているのかについて考えなければなりません。それが、意図性の帰属だといえるでしょう。
行動学者のコリー・クラークは、ノーブ効果はエラー管理理論によって説明できるのではないか、ということを提唱しました(5)。彼女はこの仮説を“Blame Efficiency Hypothesis”と名付けています。エラー管理理論とは何でしょうか。人間のエラー、つまり間違いにはふたつの種類があります。ひとつは、本当は存在しない事物を存在する、と思ってしまう間違いです。もうひとつは、本当は存在する事物を存在しない、と思ってしまう間違いです。統計学では前者を第一種過誤、後者を第二種過誤と呼んでいます。偽陽性とか偽陰性と言ったりもしますね。このような間違いは、例えば何かを検知や検査するときに問題となります。新型コロナウイルスのパンデミック時には、PCR検査や抗原検査といったものが盛んに行われました。あのような検査にも、やはり本当は感染していないのに「感染している」と判定してしまう間違いと、本当は感染しているのに「感染していない」と判定してしまう間違いの可能性があります。前者の場合、感染していない人を隔離したり治療したりしてしまうリスクがあります。後者の場合、感染を見逃してしまうので、隔離や治療がなされずウイルスを拡散させてしまったり、手遅れになったりするリスクがあります。どちらのリスクがより重大かというと、後者の方ですよね。そのため、ああいった検査は第一種過誤に偏っていた方がいいわけです。人間の認知も同様なのではないか、というのがエラー管理理論です。私たちは、例えばふたつの選択肢があり、どちらを選んだらいいのか今ひとつ確信がもてないという状況におかれることがあります。そのような場合には、第一種過誤と第二種過誤のうち、繁殖や生存に有利な、つまりより適応度を上げる方が優先して生じるだろう、というわけです。
エラー管理理論を提唱したヘイゼルトンとバスは、異性への好みという文脈でこれを説明しています(6)。繁殖において、より多くのコストを払うのは女性の方です。男性は精子を提供するだけですが、女性には妊娠・出産という大変な仕事が待っています。つまり、適応度に貢献してくれないような相手と配偶してしまうことの代償は、女性の方が多く払わなければならないということです。そうなると、女性の方が男性よりもより慎重に相手を見極めるようになるでしょう。カスを掴んでしまったら取り返しがつきませんからね。さて、私たちが潜在的な配偶相手を見極めるときには、表情や視線、身振りなど、相手が出す様々なサインから、自分に好意をもってくれているのか判断します。例えば相手が自分に微笑んでくれたとき、相手にはそんな気はないのに、この人は自分に好意があるのだ、と思ってしまったとします。これは「無いものをある」と考えてしまうので、第一種過誤ですよね。反対に、相手は好意をもって微笑んでくれたのに、そのサインを見逃して好意を読み取らなければ、「あるものを無い」としてしまうことになるので、これは第二種過誤です。さて、どちらの間違いに偏っていた方が有利でしょうか。女性は慎重に相手を見極めなければならないので、本当は好意があってもそれを無い、と考える方に偏るでしょう。野球に例えれば、積極的に打ちにいくよりも慎重に球を選ぶということです。一方、相対的に配偶コストの低い男性にとって、自分に好意のある女性を見逃してしまうことは損失です。それよりは、たとえ三振したとしても積極的にヒットを狙いにいく、つまり本当は好意が無くてもあると考えて反応する方に偏るでしょう。SNSでバズった、工学部の男子を落とすには「おはよう!」と言うだけでいい、というのはこれかもしれませんね。
話をノーブ効果に戻しましょう。クラークが主張したのは、非難によって抑止できたはずの加害者を誤って非難しなかった場合(つまり偽陰性)の方が、非難によって抑止できなかったはずの加害者を誤って非難した場合(つまり偽陽性)よりも、コストが高くなるということでした。クラークが注目したのは非難であり、それが意図性の帰属に結びつくと考えているようですが、実のところ、非難は常に意図性の帰属につながるわけではありません。また、クラーク自身はこの仮説を実証データで検証するということはしていません。そこで、偽陰性のコストが意図性の帰属の程度に影響するのかどうか、調査によって検証してみることにしました(7)。もしノーブ効果がエラー管理理論によって説明できるのであれば、意図性を見逃した場合のコストを増加させれば、意図性帰属の程度が高くなると考えられます。つまり、行為の結果が悪ければ悪いほど、それを引き起こした相手に対処する必要があるので、それだけ行為者に意図を帰属させようとする傾向が強くなるのではないか、ということです。
3. 調査による検証
最初に紹介したノーブが用いた想定場面は、結果として環境が改善するか悪化するかのどちらかしかありませんでした。これでは結果の程度を操作することができません。そこで、ノーブが用いたもうひとつの方の想定場面を採用することにしました。こちらは以下のような内容です:
小隊長が軍曹と話をしていました。小隊長は次のように命令しました。「お前の部隊をトンプソンの丘の頂上に送れ」 軍曹は答えました。「しかし、もし私の部隊をトンプソンの丘の頂上に送れば、敵の砲撃の真っただ中に部隊を動かすことになります。彼らの中から戦死者も出るはずです!」 小隊長は答えました。「いいか、部隊を敵の砲撃の真っただ中に動かすことになるなんてことも、死者も出るだろうということも分かっている。しかし、兵士に何が起ころうが俺は気にしない。俺はトンプソンの丘を占領したいだけなんだ」部隊はトンプソンの丘の頂上に送られました。予想通り、兵士たちは敵の砲撃の真っただ中に動かされることになり、何人かの兵士が戦死しました。
これは悪い結果のバージョンで、良い結果のバージョンは以下のようになります:
小隊長が軍曹と話をしていました。小隊長は次のように命令しました。「お前の部隊をトンプソンの丘の頂上に送れ」 軍曹は答えました。「もし私の部隊をトンプソンの丘の頂上に送れば、敵の砲撃の真っただ中から部隊を外すことになります。彼らの中からは助かるものも出るはずです!」 小隊長は答えました。「いいか、部隊が敵の砲撃から外れることも、そうしなければ死者が出るだろうということも分かっている。しかし、兵士に何が起ころうが俺は気にしない。俺はトンプソンの丘を占領したいだけなんだ」部隊はトンプソンの丘の頂上に送られました。予想通り、兵士たちは敵の砲撃から外れたため、結果的に誰も戦死しませんでした。
今回は悪い結果のバージョンを改変し、部隊の人数を10名としました。そのうえで、1) 10名全員が助かる(戦死者なし条件)、2) 10名のうち5名が戦死する(5名戦死条件)、3) 10名全員が戦死する(全員戦死条件)という3つのバージョンを作成しました。これら3つに、やはり部隊の人数を10名とした「良い結果」バージョンを加えたものについて、小隊長がどの程度意図的に兵士を敵の砲撃の真っただ中に送り込んだか判断してもらいました。意図性については「意図的だと思わない」を0、「意図的だと思う」を8として9段階で回答してもらいました。これは多くの先行研究でも使用されている測定法です。
オンライン調査によって、「良い結果条件」では69名、「戦死者なし条件」では62名、「5名戦死条件」では61名、「全員戦死条件」では66名の方に回答していただきました。結果として、戦死者の数が多くなるほど、意図性の帰属の程度は強くなるのではないかと予想しました。さて、結果はどうなったかというと、まず、良い結果条件における意図性帰属の程度は、他の3つの条件よりも弱くなっていました。今回のバージョンでもノーブ効果はみられたということになります。しかし、悪い結果に終わった3つの条件のあいだでは、戦死者数による意図帰属の程度の差はみられませんでした。
今回の結果からは、仮説を支持する結果は得られませんでした。ただ、いくつか興味深い発見はありました。まず驚きなのが、良い結果条件よりも戦死者なし条件の方が、意図性帰属の程度が強くなっていたことです。どちらも戦死者は出なかったわけですから、結果は同じですよね。ちなみに回答者が想定場面の内容をちゃんと理解しているかどうかチェックする質問も設けて、理解できていない回答は分析から除外しているので、回答者が勘違いしていたということはなさそうです。ノーブ効果については、単に行為の結果だけではなく、例えば規範を考慮しているかどうかといったような行為者の心的状態に反応して生じているのだという説もあり、今回の結果はそれを支持するものなのかもしれません。
もうひとつの発見は、9段階で評価してもらった意図帰属の程度が正規分布しないということでした。正規分布とは、データが平均のあたりに集まり、一致した平均値、最頻値、中央値を軸としてベルのような左右対称のかたちになっている分布のことです。今回の0から8の意図帰属の頻度分布は、8がいちばん多く、右に偏った分布になっていました。つまり、回答者は真ん中である4を基準にして考えているわけではない、ということでしょう。心理学や行動学のデータには、多くの場合パラメトリックな分析が行われています。パラメトリックな分析とは、母集団が特定の分布をしているという想定のもとに行われる分析で、ほとんどの場合正規分布が想定されています。ノーブ効果の先行研究のうち、今回のように意図帰属について段階的な尺度を用いて調査している研究のほとんどにおいて、パラメトリックな分析が行われていました。しかし、分布をみると正規分布ではないので、このようなパラメトリックな分析では必ずしも正しい結果が得られるとは限らないということに注意しなければなりません。
今回の調査では、ノーブ効果がエラー管理理論によって説明できる、という仮説を支持する結果は得られませんでした。特に一般向けの書籍などでは、ストーリーに合った、仮説を支持するような研究結果の方がよく紹介される傾向がありますが、実際のところはこんなものです。このような、仮説が支持されなかった結果についても、きちんと報告することは重要です。しかしもちろんこの結果だけでは、エラー管理理論によって説明できるということを否定することはできません。例えば場面設定が適切ではなかった可能性なども考えられます。戦死者が多かったからといって、それが回答者自身の損になるわけではありません。今後のさらなる調査が必要でしょう。
4. 文献
1) Knobe, J. (2003). Intentional action and side effects in ordinary language. Analysis, 63(3), 190–194.
2) 笠木雅史 (2020). 行為の実験哲学. 鈴木貴之(編),「実験哲学入門」 (pp. 89-114). 勁草書房.
3) 平石界 (2021). 勘違いする. 小田 亮・橋彌 和秀・大坪 庸介・平石 界(編), 「進化でわかる人間行動の事典」 (pp. 89-93). 朝倉書店.
4) デネット, D. (1996). 「「志向姿勢」の哲学 –人は人の行動を読めるのか?–」 白揚社.
5) Clark, C. J. (2022). The blame efficiency hypothesis: An evolutionary framework to resolve rationalist and intuitionist theories of moral condemnation. In T. Nadelhoffer & A. Monroe (Eds.), Advances in Experimental Philosophy of Free Will and Responsibility (pp. 27–44). Bloomsbury Publishing.
6) Haselton, M. G., & Buss, D. M. (2000). Error management theory: A new perspective on biases in cross-sex mind reading. Journal of Personality and Social Psychology, 78(1), 81–91.
7) Oda, R. (2023). Is the Knobe effect due to error management? A functional approach to the side-effect effect. Letters on Evolutionary Behavioral Science, 14(2), 37-42.