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祖父の日記 014 噫呼南洋・行軍

噫呼南洋 一月十五日

珍らしい馬来のすべてのものを記録しないで過すのは惜しいことだ。何故なら、我々が駐屯すればする程又珍らしい事に遭遇して、 以前に見聞したものが忘却されて仕舞うおそれがあるからだ。今此の記録を書いている処はタイ国のハジャイという場所で、上陸したシンゴラより約三〇軒の道程にあるという。斯うして此の記録を認めていると、何から書いて良いか判らない気持である。 
去る十三日午后一時シンゴラの港に停泊して、毎日輸送貨物船の舷側にもたれながら、首を長くして上陸を待っていたのが遂に実現 され、早速武装して縄梯子を伝わりながら小発動機船に乗った。そして約四十分間、巨浪に見舞われながら、幾度か海中に転覆するのではないかと胆を冷やしたことか 。
でも何事もなかった。岸へ近づくにつれて葉の広い椰子の木、あおい葉の繁るかつ葉樹、そして黄色い波の立つ河口へと進んで行く、両岸に見える此の緑の木木は約一ヶ月の海上生活を、否あこがれの南の国を夢に、はまぼろしに描いたことか、それが今茲に実現しつつあるのだ。 
我々を乗せた小発はドンドン河を遡って行く。両岸に繁る木、土人の子供、土人の舟、そして薄い木の葉の屋根、壁のない家が見える。まるで内地附近にある公園を見る様だ。 
どっと上陸して道路に出る。アスファルトの立派な道だ。 そして道しるべも、門の文字も横文字だ。道に逢う人、追越す人、 これは皆男か女か判らない。只警察官、軍人らしいものは服装からして頷かれるが、他は多分下層階級の者であろう。 何れも跣足であるが案外色は黒くない。却って我々の中で顔の黒い者がいる様だ。 
四辺に繁る木は何れも珍らしいもの許り、満州と異って皆我々を慰め、好奇心を満足させるもの許りだった。 
小学校時代から大きくなる迄、椰子の木蔭でテクテク踊る南洋の話をいつとなく聞いている関係上、椰子の木はあれ、バナナの熟れる模様はどうだとか見て頷け、きいて尚確実に判る有様である。本当に日本の公園だ。 赤い花が咲いている。 黄色い実が下っている。 まるで夢の国だ。駐屯している兵隊の営舎側で、ハッチの葉の形を した葉、否、ハッ手の葉よりうすくヒョロヒョロと伸びていてその寄った葉柄のつけ根に、家鴨の卵大の青い実がゴチャゴチャに沢山ついている。所謂パパイヤ・・・・ 誰かもうとって捨てたのか、傍に青い椰子の実が落ちている。日の照る場所は暑いが木陰は涼しい、 とても凌ぎ良いところだ。此の「シンゴラ」から、ハジャイに向う途中、日本憲兵隊に寄った。此処の垣根には日本の温室にある、葉柄の厚いカキツバタの様な草が伸びていた。 日本にある温室の鉢植の木は大切にされるが、此の南国ではこんな珍しい草でも誰も見向 きもしない一種の雑草である。 
我々は自動車で「ハジャイ」に向う。 椰子の木に似た檳榔樹、ゴ ムの、そして太い株を形成して繁っている竹、稲の育つお正月、 ああやっぱり常夏の国である。 
「ハジャイ」に着いた。華僑の住む町であっても彼等はいない。 広大な市場を根拠に我々は舎営する。此処も同じくすべて見るものが珍らしい。一ヵ月間節水に徹して来た我々は、水の豊富に満足すると共に、水の有難さ、貴さを知り、勿体ない気がする。 
玆で我々の前を通る土民達の姿は、十分に好奇心を満足させて呉れる。 男でも腰に赤い布を巻き、女は殆ど断髪である。 印度人もいる。彼等は本当に驚く程色が黒い。 
昨日山本曹長と市場へ肉を買いに行った。四十銭も出すと約四〇〇匁位の赤い牛肉を、刃の薄い包丁で手際良く切ってくれる。もっと小さく細かく刻んで呉れと頼むと、待っていましたと許りに、包丁の刃を上向けて柄を右足指で踏む様に挟みながら、両手に肉片を 持って刃に押しつけ両断するという工合である。汚れた白布を頭に巻いて、目をギョロつかせ、肩から腰に斜にかけた赤い布が風にはためいていた。 
又、雨のはれた日、写真を撮るべく部落の家屋の立並ぶ場所に行って見た。茲は一面の湿地帯で溝がつくられ、どす黒い汚水が充満している。即ち椰子もバナナもパパイヤも、此の水分を吸収して熱い日光を受けて伸びたわけだ。写真を二、三枚とる。 珍らしいのはとがった蝸牛の多いこと、又ポンカンの鈴なりになっているのも始めて見たし、良く名前を忘れるが、オランダドリヤンとかいう大人の頭程の大きさの太さのグロテスクな奴が、太い幹にイボイボの出来た顔をニョッキリ出した様にブラ下っているのも面白い。其の外パパイヤに又八ッ頭の芋に似た二米位の高さの草や、トゲの生えた実の拳位の大きさのもの、棕梠の様な木に草ひるがおに似た草、花菖蒲の様な大きな草、汚い土民の床の高い家、そして手掴みに飯を喰う人達。又印度人は言葉の通じないくせに、ガンジーとかインデアンとか言って、此の土着のマライ人より日本に親近感を持つとい う素振りを示している。でも印度人の子供はマライ人より如何にも黒くて、南洋の土人の典型的な面影を持っているみたいだ。兎に角みんな珍らしい、いろいろなこと許りではある。 

行軍 一月二十日

スンゲーバタニーからタイピンへ、そしてタイピンからレボーを通過、 タバーの町を越えてクアラルンプールへ。
クアラルンプールは英軍の爆撃の跡が未だ生々しく残っていたが、 それでも大きな建物が街の中心に聳え、白い壁が陽を受けてキラキラ光っていた。玆で一泊して又自動車の行軍が続く。車内は熱気の為に温度が上昇し、寒暖計は三十度を越している。時速は六〇哩、運転手は眠気を防ぐ為時々仁丹を噛んでいた。車内は暑くて相当に苦しく、上衣の釦は勿論、ドアを少々開けて風を入れ、又軍袴の前釦をも外して暑さを緩和することに努めた。途中僅かの休憩に椰子の実の水を飲んだり、水筒の水を補給したりして一路進軍、此間約二〇〇杯の道程であった。 
そして前線ゲマスに着けば、まだ生々しい傷痕の数々、先づ戦死した同僚の霊を心の中で慰む。激戦地ゲマスは砲弾の痕、爆撃の穴、特に友軍の戦車が、敵戦車砲の弾丸を砲塔の真正面に受けて穴が開き、多分即死したであろう兵隊の流した血痕が黒くしみついて痛々しい。 
そして戦場は愈々緊迫度を増して来た。 


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