「男/女らしさ」を考え始めるなら、『さよならミニスカート』がおすすめです。
本記事の目的
本記事では、『さよならミニスカート』を引用しながら「女らしさ」「男らしさ」という単語を考察し、それら単語の息苦しさや呪縛から解放されるための「思考と行動の出発点」を提供することを目的としたい。
想定読者は、「女らしさ」「男らしさ」などの単語に息苦しさを感じる人とである。筆者を含む。
これはジェンダー論やフェミニストの記事か?
いや、ジェンダー論というより、平等論と呼びたい。
もっというと、「人は人をどう認識したら、より平穏なのか?」、という話に近い。
筆者の個人的背景
この手のセンシティブな話題で、どこの馬の骨かわからない人間が書いたものを読んでいただいても、読者に感情が伝わらない気がするので、多少書いておく。(長いので、次の項目まで飛ばしてもOKです。)
色々書いたが、要は、「多くの女性に助けられたので感謝しています。男女に優劣ない。でもその女性達が、女性であるがゆえの生きづらさを抱えているなら、すげぇ嫌だな。」という想いに至ったということです。
まず村上は、女系家族の一番下の男として育った。進学・就職・結婚・出産で悩む従兄弟。見合いを勝手にセッティングされる34歳の女性の従兄弟。妹に結婚を先越されてざわつく従兄弟。転職や子育てに悩む母/叔母。
中高は男子校だった。女性の教師は、得てして男子中高生にはナメられる。崩壊気味な授業もあり、明らかに傷ついている女性の教師を複数見た。
大学生では、「リケジョ」という単語の違和感と意味の無さを、桜蔭高校出身の女性と話した。
研究室の指導教官はシングルマザーの女性でとてもお世話になった。指導教官は、管理職の女性比率を高めるため、本人が志望していない管理業務を任されていた。
企業に入って、上司は大変に優秀な女性にだった。
ボランティアでコーチングを提供する過程で、複数の女性と話す機会があったが、性被害や性差別の経験者や、ルッキズムで苦しむ人は1人や2人ではなかった。
そんなわけで、こんな経験をしてるので「多くの女性に助けられたので感謝しています。男女に優劣ない。でもその女性達が、女性であるがゆえの生きづらさを抱えているなら、すげぇ嫌だな。」と思ってます
『さよならミニスカート』で「女らしさ」の息苦しさを再認識
『さよならミニスカート』は、内容の重さと繊細さと、時流もあってか、このマンガがすごい大賞2020オンナ編で、大賞を受賞している。
少女マンガ誌『りぼん』の編集部も、気合の入れたメッセージを打ち出していた。
『さよならミニスカート』は、「女らしさ」「男らしさ」という概念の息苦しさをを描き、その「女らしさ」「男らしさ」の呪縛から解放されるためには一体どうすればよいかを考えさせる作品である。
大変に心を動かされ、どうすれば男性も女性も生きやすくなるのか思索したのでログを残したくなった。
本記事では「女らしさ」「男らしさ」の単語を『さよならミニスカート』を引用しながら考察し、それら単語の息苦しさや呪縛から解放されるための「思考と行動の出発点」を提供することを目的としたい。
注釈
作品を考察する上で、どうしても、"男性らしさ", "女性らしさ" という単語を使わざるをえない。以降、これら単語を使うときは世間一般で言うそれを指していることを明言しておく。
本作が描く「女らしさ」の息苦しさ
本作は、「女らしさ」の窮屈さを表現するため、実際の性被害を想起させるエピソードを多用しており、それが作品にリアリティを足している。
本記事で引用する漫画の画像は、全て
牧野あおい『さよならミニスカート』1,2巻 集英社
が出典であることを明記しておきます。
女性専用車ネタ画像
一番のネットでの有名所は、「女性専用車ネタ画像」であろう。
以下のように作中でとりあげている。
といった性差別・容姿差別的な論調が平気でまかり通る世の中を風刺している。
なお、4コマ目の女性は、取材時点では18歳の一般人であったが、現在は対外的に活動されている方であり、以下のような記事もある。
AKB48握手会傷害事件
本作の主人公はアイドル時代、握手会で刃物による傷害事件にあう
事件後、周囲から「"可愛い"を男に売っていたのだから自業自得だ」「あんなミニスカートを履いている方が悪い」、というセカンドレイプを受ける。
アイドルを辞め、通い始めた高校では、ミニスカートを履かず、自らの「女性らしさ」を隠すために、男性的な服装(短髪とスラックス)をまとい、男性的な言動(「うるせー」、「じゃねーよ」など)をするようになる。
アイドルが傷害事件後にアイドルを辞める設定は、川栄李奈を襲った傷害事件から着想を得たものであろう。
峯岸みなみ、丸坊主
また、峯岸みなみの丸坊主事件についての言及もある。
各種の性的消費
アイドル時代の露出の多い写真を、邪険に扱われ、後悔に近い思いをする描写もある。
この手の話は多い。
一例として、蒼井優は、アイドルグループのアンジュルムの写真集の撮影を担当したことについて、以下のように答えている。
潰れてきた人が、たくさんいるのであろう。トップクラスの女優が言うと、中々に重みのある発言である。
青年マンガ誌でグラビアを出した女性の後悔に関する記事もある。
女性性の消費という観点では、「あ、それも言っちゃいますかー。」というコマもある。
とまぁこんな感じで、女性性というものを意識せざるをえない事象から着想を得たであろう箇所が、作品のリアリティを増しており、問題提起色も強くしている。
また、ちなみにだが、本作のタイトル『さよならミニスカート』を聞くと、筆者は真っ先に『スマイレージ』というアイドルグループを連想する。現在は『アンジュルム』という名義のグループだが、
と、まさにミニスカートを売りにしておきながら、ミニスカートとさよならしたグループである。そこから着想を得たと予想している。
次からは、このような苦しさは、どこから来るのかを考えたい。
「女らしさ」の苦しさはどこから来るのか、理由2つ
本作を読むと、「女らしさ」「男らしさ」という概念は、こんなにも窮屈な理由について、仮説を持つようになった。
大きく分けて2つの理由があるのでは?と睨んでいる。
1. 「女らしさ」と相反する要素も求められる時代であること
「女らしさ」というと「可愛らしい、か弱い。あどけない。幼い。従順。小さい。保護対象。」などの弱ぶらないといけない単語が多く出てしまう。
ビジネス現場にフルタイムの女性が増えているが、ビジネスはその性質上上、”女らしさ”と相反する要素を求められる。
一方で、人間関係を構築したり、家庭をつくるうえでは"女らしさ"を根強く求められるケースも有る。
時と状況に応じて、相反する要素を持つことを現代女性は強いられている。
これはシンプルに難しい。
「強く」、「努力家」で、「賢く」、「芯があり」、「自立心がある」などのビジネスに活きる要素を持っている女性はたくさんいる
しかしこれらの要素は、従来の「女性らしさ」とは相反するので、彼女らは公私で、"女性らしくあれ"と、古い人から言われる。
そうすると、以下のような思考回路になることもあり得るだろう。
つまり、存在否定のように感じてもおかしくないわけである
2. 身体的にどうしても男性より弱く、男性に守られないといけないケースが有る
女性は、男性より基本的、身体的に弱い。
また統計によれば、女性の年収中央値は男性よりも低く、経済的にも弱い。(以下よれば、中央値に男女で150万円ほどの差がある。)
この身体的&経済的不安に、今までの女性はどう対処してきたか。
太古の話をすると、信頼できる男性を"女性性"を使って味方にし、守ってもらうようにしたのではないかと思う。
狩猟採集の原始時代とかはその可能性が高かったように思える。外から食料を持ってきてもらいつつ、外敵から守ってもらう。その代わり、料理をし、子供を育てる。。。といった感じで。
今でも、ドラマや小説でも、男性が女性に対して「俺が君を守る」的なセリフを言う。これはおそらく本能的なものに近い気がする。本作にも、そのようなセリフは出てくる。
そしてまだまだ、世の男性は”女性らしい女性”を好きになるケースが多い。その結果「従来の"女性らしい"とされる要素≠自分の要素」だとしても、すぐに女性らしさを完全に捨てることは出来ないという状況なのではなかろうか。
「女らしさ」の息苦しさから抜け出すため
息苦しさの原因が前述のものだとして、一体どうすればいいだろうか。
1. 治安向上と、女性の経済力の向上
社会を成熟させ治安を向上させつつ、男女間の経済格差の解消は必要だろう。
前述のように、女性性を売らなくてはいけない世の中を変えるために、治安向上と、男女間の経済格差を埋め、各自の自立を支援するための施策が必要であろう。
2. ジェンダーロールによる苦痛を再認識し、「○○らしさ」を禁止
ジェンダーロールによる苦しさに対する、相互理解が必要であろう。
この漫画には、「女らしさ」はもちろん、「男らしさ」で苦しむ登場人物も登場する。男らしさの呪縛に関しては、以下の記事を併せて読んでみると良いと思う。
これを一言でいうと、以下になる。
・”女”とか"男"とかの前に、人を人としてみる。
冒頭でも、「人をどう認識するかの話になる」と書いたが、こういうことである。
これを具体的に実践するために4つを気をつけている。
身体的特徴に言及せず、人としての内面に言及する。
人(特に女性)の首より下は、見ない。
会話がその人の配偶者に筒抜けだとしても大丈夫か?を意識する。
「女らしさ」「男らしさ」という言葉を使わない
基本、物理的接触をしない。
また、もっと本質的には人間の「自分より下の人間を見つけたい欲」や「孤独」と戦い、ことになるであろう。
あとがき:
作品は、2023-05-12時点、体調不良で休載している。
「性役割」や「女性への期待」で苦しむ登場人物たちの描写の多い本作だが、作者の牧野氏も、集英社や世の中からの「役割」や「期待」で押しつぶされてしまったのであろうか・・・。
最後にこの記事を読んでくれた1人の友人の感想を引用したい。
いろんな方の、「自分らしい行動」を肯定できる人間でありたいと思った。