2021年に読んだ本(真面目なもの)の感想など
略儀ながら明けましておめでとうございます。
本来であれば、昨年末に書いておきたかったものですが、備忘も兼ねて、年をまたいだこの時期に簡単に書き記しておこうと思います。
全体的に、やや左傾的なので、人によっては不快感を持たれるかもしれませんが、そこはどうかご容赦を。
ジョージ=オーウェル『1984』
す、凄ぇ・・・
の一言です。
名著として以前から気になってはいたのですが、実際に読んでみると圧倒されました。
現在のイギリスを中心に、アメリカ大陸など大西洋を挟んだ国々がひとつにまとまった「オセアニア」という一党独裁体制の国家が主舞台となっており、その統治形態はプラトンの『国家』も吃驚のディストピアです。
(プラトンの名誉のために一応注記しますが、彼の『国家』は哲人王が支配する理想的な都市国家なので、本来ディストピアではないです。)
特に、「ニュースピーク」という新しい英語の発想が斬新でした。「ニュー」とつくから、未来を感じさせる新しい語彙が追加されていくものだと予想されるところ、むしろ逆に年々語彙を削っていく方向に進化していくというものです。
憶えやすく使いやすくなっていくことを利点として党は推奨しているのですが、簡略化を推し進めていった結果、どの語尾も似たような発音になり「ガーガー」喚いている語りとなります。これが作中の「2分間憎悪」と重なると他国への敵愾心を煽り人々を興奮させる作用も持ちます。なかんずく「自由」や「平等」といった語は限られた場面でしか使用が認められず、人々が「自由」などを思い描くことができなくなるように統制されています。
主人公ウィンストン=スミスが務めている「真理省」というのも、「真理」と言っておきながら、やっていることは「過去の記録の改竄」です。生産が向上しているように見せるため、新聞に掲載されている過去の生産量を下方修正し、もとの記事は焼却処分。修正したものを新たに交付するという仕事です。「党にとっての」真理を記録する省庁というわけです。
はたから見ると、非常にバカバカしい仕事で、他にも非効率としか思えない統治方法が見られるのですが、反逆者、抵抗組織を見つけられるよう常に監視の目が光っている、誰も逆らえない社会となっているのです。
こんな社会が到来しないようにというオーウェルなりの警告を込めた書だと私は感じたのですが、今後の世界ははてさてどうなることやら・・・
私が生まれたのが、1984年というのもなんだか怖い気持ちになってきます。
丸山眞男『超国家主義の論理と心理 他八篇』
3年ほど前に丸山眞男の『忠誠と反逆』を読んだことがあるのですが、幕末期の漢文調の公文書(返り点ナシ)を多数引用した論文があり、読むのに難儀した覚えを抱いたため、それ以後丸山眞男に手を出すのは躊躇していました。
しかし、この岩波文庫の書は終戦直後から10年余りの期間に出された論文・記事をまとめたもので、漢文調の引用は殆ど無いため読みやすかったです。
私は特に第3篇の「軍国支配者の精神形態」が興味深かったです。その当時に公表された東京裁判の記録に基づくため、資料的な偏り(不十分さ)という欠点はありますが、如何にして先の無謀な戦争に日本国家が突き進んでいったのかの構造が分かりやすく論じられています。
ナチス・ドイツの幹部たちは、自分自身の責任を自覚しながら戦争指導したのに対し、日本の指導者たちはまるで天変地異に遭ったかの如くこの戦争を捉えているのが、特に印象的でした。
ベアテ・シロタ・ゴードン『1945年のクリスマス』
日本国憲法のGHQ草案作成に参画した女性の自叙伝です。
特に第Ⅴ章の憲法草案作成の過程が緊張感あふれる記述で圧巻でした。
私は生前のベアテ氏に一度だけお目にかかったことがあります。といっても対面してというわけではなく、学生時代に名古屋で開かれた憲法記念日の集会の壇上で語る氏を客席から眺めてという形です。非常に流暢な日本語で話され、「日本国憲法には本当はもっと女性の権利を加えたかった」と仰っていたのが印象的でした。
この書ではまさしくその部分が活き活きと書かれていて、当時の社会主義国の憲法も参考に、家庭は人類社会の基礎として捉え、家庭の保護を国家の義務とし、私生児の権利も保障するなど、ほかにも女性の権利を多く提案されています。それらは草案からカットされてしまいますが、如何にベアテ氏が日本の女性のためを思って仕事に取り組んでいたかが伝わってきます。
とはいえ、私はベアテ氏の次の言葉、特に最後の2文が棘のように刺さって感じます。
ほかにも何点かあるのですが、今日のところはこれまで。
続く(かもしれないし、続かないかもしれない)。