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[ショートショート]不安

久しぶりに会った友人の背中はいくぶん小さくなったように感じた。昔は水泳で鍛えてはりのあった背中は筋肉が落ちただけでは説明がつかないくらい似ても似つかなかった。

「お久しぶり!元気…な訳はないよな。」

「悪いな来てもらって。」
そう答えた友人の顔はとても憔悴仕切っていた。目頭のシワが目立つようになって、全体のたるみも見受けられる。加えて肌の乾燥がとても酷い。まるで砂漠の中で1日歩き続けたんじゃないかくらい乾いている。とても同い年とは思えなかった。ただ、そんな気持ちは心に押し殺して表情に出さないように言葉に気をつけながら続けた。

「でも驚いたよ。まさか奥さんが拒食症だなんて…」

そう、私が今日ここに来たのは友人との久しぶりの再会ともうひとつ理由があった。友人の奥さんが拒食症らしい症状を発症してしまったらしい。それで昔の友人の中に精神科医になった男がいないか探したみたいだ。それで私が見つかったみたい。だから先程から友人と表現しているのもある。そもそも学生時代も直接深い関わりがあった訳では無い。同じ部活にはいたが友人はエースでキャプテンだった。一方私は普通の成績だ。そんな私を頼ってきたのはよっぽど追い詰められていると想像できる。だから私も今回の相談に力添えする気になったのだ。

「今はどんな状態かもう一度説明してもらってもいいか?辛いと思うから自分のペースで大丈夫だから。」

「数ヶ月前から妻の調子がおかしかったんだ。なんだか食欲が無いみたいな事をこぼすことが多くなって。私は1日2食しか食べてないからそれなら1食へらしてみるかと提案しました。そしたらその直後は少し回復したんです。それで私も安心仕切ってしまいました。実はその少しあとに1食しか食べなくなってたみたいで…私の見てない所では食事を抜いていたみたいです。加えてトイレに行く回数も増えていました。私はどうしても気がかりになって妻に聞いたら食べたものを戻していたみたいです。それを私にバレたくないから芳香剤の匂いでかき消していたみたいです。そのあとは妻と話し合って一度病院で見てみようということになりました。それで病院を調べて連れて行ったのですが病院に着く直前に妻が泣きだしてしまいました。『ごめんなさいごめんなさい。迷惑かけてごめんなさい。』とずっと呟いていました。私が呼びかけても全く応じようとせず目の焦点も合うことが無かったのでその日は家に帰ることにしました。後日先生に連絡を入れて診察に行けなかった旨をお伝えしました。」

そこで1呼吸置いた。机の上の水を一口含んだ。その動作も必要以上に丁寧だった。恐らく奥さんに刺激を与えないために家でも気をつけているのだろう。そんな配慮が感じられた。

「その先生はすぐにでも入院させた方がいいとも通院の方がいいとも言いませんでした。どちらにもメリットデメリットがあってそれを判断するのは旦那さんに任せると言われました。私はその時はすぐにでも入院させたいと思いました。しかし、妻を見たらそんな気持ちすぐに砕けました。とてもじゃないが今妻のそばを離れられない。もしもの事があったら私は死んでも死にきれない。だから何とか通院の方向でお願いしました。しかし、担当の先生は執拗に入院させるべきと聞く耳を持たなかったのです。あなたで判断してくださいと言ったのに…それでその先生には見切りをつけました。妻の何を知っているのかと感情的になってしまいました。」

「それで私を頼ってくれた訳ですか?」

「そうです。学生時代にあなたとはそこまで関わりが無かったようにあなたは思ったかも知れない。しかし私はあなたがきちんと最初から最後までやり抜いてくれる心の強い人であると尊敬してました。私が自分のタイムが伸び悩んでいた時期もあなたは黙々と泳ぎ続けていた。その姿勢には何度助けられたか。そのあなたが先生になっているなら是非とも頼らせて欲しい。そう思ったんです。」

想像していない言葉が出てきてびっくりした。まさか友人が私に対してこのような尊敬の念を抱いていたなど全く気が付かなかった。私はただなにかに打ち込んでいる時間が好きだったからあの時期は黙々と泳ぎ続けていただけだった。当時を思い出して少し顔が緩みそうになった。慌てて自分を正して口を開く。

「用件はわかりました。私が出来るだけのことをやってみます。しかし医師が絶対と言う言葉を使うことは出来ません。あなたと奥様の力次第と言う見方もできます。ただこれだけは絶対に約束します。奥様を救ってまたあなたと幸せな日々を送れるようになるために最大限の努力を致します。私が使える全てを総動員させて病状改善に当たらせて貰います。それだけは絶対に約束します。」

そう言ってあつい握手を交わして来週診察に来る約束をした。その後家に帰って改めて電話をして病状の確認をした。それを聞いたらかなり暗い気持ちになってしまった。まずは体を治す。その後に心の治療をする必要がある。少なくとも半年、1年はかかるのではないかと思われる。幸いにも自分の人脈で何とかなりそうな予感はある。それに私もそれなりに経験しているベテランだという自負もある。

それなのにこの拭えない不安はなんだろうか?不安要素は向き合いながら消してきたのに今日に関しては増える一方だ

クヨクヨしてもしょうがない。私は私ができることをやるだけだ。そう言い聞かせて布団に入ったが一切眠れる気配が無かった。

外では車が1台通り過ぎる音がしてまた静まり返った。音が夜の街に吸収されるみたいにこの苦しみも飲み込んで貰えたらどれだけ楽かと考えてしまった。

こんなことを言っていては始まらないと寝ようとした時一通の電話がなった。こんな時間にかけてくるのは1人しか思い当たらない。恐る恐る電話をとると向こうで友人の悲痛な叫びが聞こえてきた。私は半ば放心状態で聞いていた。半分は驚き、もう半分はそうなるであろうと心のどこかで思っていた。だが言葉に出すことが出来なかった。それは自分が逃げるためだった。私は自責の念に駆られて夜の街へ走り出した。どこか誰も自分の知らない場所を探して車を走らせた。

翌朝2つのニュースが流れた。1つは精神疾患を抱えた女性が自殺してしまったニュース。もうひとつは山道で男性が運転する車が崖から転落したニュースだった。

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