純ジャパがスタンフォード教育大学院を修了して感じた8つのこと
皆さんこんにちは!
更新が少し空いてしまいました。春学期中は、勉強や研究に追われ(特に修論が佳境でした)、なかなか投稿ができませんでしたが、先日スタンフォード大学での卒業式がありました!
支えていただいた皆さんには感謝してもしきれません。
本当にありがとうございます!!
厳密には来月(7月末)の修論提出をもって全課程が修了し、修士号の取得となるのですが、概ねすべてのプログラムを終えた今、また留学して1年くらいが経過するこの時点で、少し振り返りをしてみたいと思います!
長いかもしれませんが、社会人での初留学のリアル、教育政策研究の気づき、カリフォルニアライフ🇺🇸など多岐にわたる部分をまとめてみたので、ご関心のある部分だけでも、ぜひご覧いただけると嬉しいです!
授業編
1. いちばんの困難は言語の壁!
何よりコレでした(現在進行形)。
もともとTOEFLでもListeningはあまり得意ではなかった(20点台前半をさまよい、たまに後半が取れたレベル)ので、初の海外留学は覚悟して臨んだのですが、それはもう、授業中は大変でした。具体的には、
教授の言っていることが半分くらいしか分からない(特に何のスライドや資料もないとき)
4〜5人のグループディスカッション(教育大学院はこれが頻繁にある)で周りが話していることがあんまり分からない、置き去りにされた感覚になる
といったことが、序盤は特に多かったように思います。
こうした感覚になることは日本ではほぼ無かったので、ヒリヒリする刺激的な経験なのですが、前半の頃は(自分の性格に起因する部分もあると思いますが)それで心労やストレスが結構ありました。実はそのことで、もうついていけない!帰国したい!と思った時期もあるのですが、その詳細はまた別の機会に記事にしたいと思います・・・笑
2. それでも良い成績を取って修了できる!
とはいえ、なんとかここまでやって来られたわけですが、じゃあ、それをどうやって乗り越えたのか?という話です。
このままではまずい!という時、まずメンタル的には、以下のようなことを意識していました。
「真面目にやりすぎない」
「人と比べてもしょうがない。「できない自分」が、いかに「できる」ようになるかが大事。少しずつ、できるようになる自分を楽しむ!」
「後から振り返れば大抵のことは杞憂だったと分かるものだ」
上記の言葉は、相談したアカデミックアドバイザーや留学経験者の方の言葉も含まれており、色々な人に思いを吐露したり、相談したりしつつ、助言や改善点を自分でノートに書いたりして頭の中を整理し、日々意識し、苦しい時は度々読み返して思い出していました!
また、テクニカルな話で言うと、「準備」することで授業や課題を乗り越えられることもたくさんあったと思います。例えば、
事前のリーディングに目を通し、授業で議論になりそうなことやKey pointsを把握してから授業に臨む(→急に発言が必要な場でも対応できる)
ここで取り残されるとまずいというポイント(グループ課題などの要所要所)では、遠慮せずはっきり意思表示をする
授業においてプレゼンを求められる際(1年を通して8回くらいあったかもです)は、原稿を用意して事前にひたすら読んで練習する(→内容を覚えて話せるので、丸読み感なく、また自信を持って話せる)
みたいなことは、「できないなりに準備」できる工夫だったと思います。
あとは、純粋にクラスメイトたちがとても優しく、こうした私にもウェルカムだったのもとてもありがたかったですね…!
こうした工夫以外に、成績は提出課題(ペーパー:Writingの力が大事)の比重も大きいので、それらもしっかりこなすことで(この辺は時間をかければそれなりのものは出せるので、日本人的には問題ないと思います)、乗り越えられたのかなと思います。
次のセクションの話にもつながるのですが、こうした工夫なども相まって、研究・論文に関するセミナー(ゼミ)の授業では、冬学期と春学期に、成績評価「A+」を取ることもできました。
(もちろん入学の際に、乗り越えられるだろうということで合格させてもらった部分もあると思うのですが、)工夫次第で大学院の学びもしっかりやれる、ということは自分の実感、自信になりました。
研究編
3. 1年で研究成果を出すのは至難の業
ここからは、主に論文などの研究活動に取り組んで気づいた点です。
(以前、スタンフォード教育大学院について説明した下記の記事でも記載しましたが、私が参加したプログラムは、1年かけて、授業を受けつつ修論を仕上げていくもので、授業と研究の両立(ダブルワーク?)は1年間ずっと大変でした。苦笑)
特にこのプログラムは、学会誌などへの出版も可能(publishable)なレベルを目指すこととされており、丁寧な指導があったのはリサーチスキルが身に付く大変貴重な機会でした。一方、(教育分野に限らない話ですが)1年で理想的な研究成果を上げるのは時間や労力との兼ね合いで難しい部分もあるなと気付かされました。
アカデミックアドバイザーと研究の方向性を相談した際に「研究はステップバイステップだ。少しずつやるしかない」と言われた言葉は印象的です。働いていた頃は、教育分野の研究がもっと加速度的に進められるべきだと思っていたのですが(その思いは今もありますが)、とはいえ日進月歩なのだなということは、実際にやってみたからこそ気づいた点だと思います。
4. 日本の教育データは十分公開されているか?
留学前に抱いていた問題意識も踏まえて、修論は日本の教育政策を題材に、「学力下位層の児童生徒の学力向上のために、行政が持つどのような教育資源が有効となり得るか」というテーマを設定して進めました。
そこで、上記の「1年間の制約」ともリンクするのですが、もう1つの課題として、教育データの連携や活用の難しさを身をもって体感しました。ここでは簡単に述べるにとどめたいと思いますが、はじめは、上記の問題意識へのアプローチとして
① 地方自治体の教育支出費の統計データ
② 全国学力・学習状況調査の統計データ
を活用して統計的な分析を行い、どの資源(教育予算の項目)がどれだけ学力向上と相関があるかを検討したいと考えていました。
アドバイザーとの相談で、統計であれば少なくとも市町村(約1,700)レベルのデータが必要だねとしてそのデータを探したのですが、どちらも一般には公開されていないデータでした。
また、特に②に関しては、データを持つ文部科学省にも相談したのですが、データの二次利用という場合でも海外研究者にデータ貸与を行うのは現状困難だとして、こうした分析は断念せざるを得ませんでした。
短い期間ということもあり、分析手法をやむなく変更し、一般に公開されている都道府県レベルのデータをもとにしたケーススタディ(≠統計などの定量的ではない手法)としましたが、教育研究のさらなる促進の観点から、こうした現行のルールには少し疑問を感じるところもありました。
5. 教育政策の成果を「定量的」に測定できているか?
行政が持つ教育データの連携が重要だと私が考えるもう1つの理由として、修論の分野に限らず、行政データや教育データを連携させることが、新たな分析や研究を生み、エビデンスに基づく教育政策の推進に寄与すると考えているためです。
たとえば、論文にも書いているのですが、「どういった教育資源が学力向上に寄与するか?」ということを考える際、行政のどの施策が(ピンポイントで)学力向上に寄与したか?ということは、私の知る限り、あまり日本国内では盛んに行われていないように思います。また、行われている研究であっても、それらはクラスサイズ(学級規模)に関するものばかりです。
問題に対して、その要因は往々にして複合的であり、分析するといってもそれは容易ではないことも学んでいくうちに分かる部分もあるのですが、「原因が分からねば正しい施策も打てない」とも思います。要因分析や効果検証がアカデミックにできるよう、データを整備した上でこうした定量分析がさらに進められることが、教育政策の強化にもつながると信じています。
6. 教育政策研究の意義は「定性分析」にもある
ということで、私の研究はケーススタディ(分野としては定性分析の1つ)として、特定の都道府県に対し、彼らの持つ文書、当該自治体へのアンケート及びインタビューを通じた分析を行っています。(絶賛最終とりまとめ中)
留学前は定量分析に力を入れたくてアメリカにやってきたので、方針の変更は少し残念な思いもあるのですが、結果的に質的研究(定性分析)の手法も学ぶことができ、教育研究の幅広さ、奥深さを知ることができました。
スタンフォードの授業で学んだ定性分析を活用した教育研究としては、以下のようなものがよく題材に取り上げられていました。
人種(race)や民族(ethnicity)、言語(language)などの文化的差異が、どのように個々人やクラスルームの学習態度や学習パフォーマンスに影響を及ぼすか
学習障害(learning disability)の困難が、学校や社会的な文化によってフレーミングされているという発見
これらは、日本の教育現場を考える上でも、非常に示唆的な学びでした。例えば外国人児童生徒、障害を持った児童生徒の数は増加してきています。そうした子への課題発見、既存の概念の打破などのためには定性分析が有効となる場面もあるかと思います。
また、定量分析と定性分析は、歴史的にはその優劣について論争なども行われてきたようですが、近年はそれらを組み合わせて行う研究手法(Mixed Methods)なども現れてきています。
今後、自らがリサーチを読む、行う、デザインするといういずれの場合でも、こうした知見を持っておけるのは良かったと思います!
生活編
最後の2つはちょっと勉強以外のことにも触れたいと思います。笑
7. 日本食が結構手に入るので助かった!
勉強や研究のストレスもある中、食べ物も合わないとなると、にっちもさっちもいかない感じが強いですが、日本の食べ物や調味料が比較的手に入りやすい環境に住めたのはありがたかったです。
(初の海外生活なので、特にずっと日本で生活してきた私には必要でした…!)
アメリカでは近年、特にオンラインスーパーの「Weee!」という、配送も含めて提供してくれる素晴らしいサービスがあるので、特に調味料やお菓子など、近くのスーパーではあまり売ってないやつをよく買ってます。
なので、ほぼ毎日味噌汁を食べては、時折「お〜いお茶」を飲み、「じゃがりこ」を食べたりもできます(値段は高いですが!泣)。時代の変化に感謝です!
外食にもたまに出かけるのですが、スタンフォード大学のダウンタウンや、近辺のエリア(サンフランシスコやサンノゼ)にはジャパンタウンもあるので、日本食レストランには比較的アクセスできる環境です!(値段は高いですが!泣)。
留学の最初の方は特にホームシック的な感じになることもあったので、そうした際の心の支えになってくれた気がします!
カリフォルニアは日本人の人口が多いので、こういう環境には充実している部分があるかもしれません。留学初年度としての環境は、そういう意味でもここで良かったかな?と思います。
8. 天気の良さは厳しい研究生活を乗り越える上で重要!
カリフォルニアのもう1つの魅力ですが、「とにかく天気がすこぶる良い」です!そして、これは心身の健康のために重要だということを声を大にして言いたいです。笑
去年の8月に初めてやってきたのですが、「雲1つない青空」「天気は30度をめったに超えない」「カラッとしていて日本のようなジメジメしさがない」という日がとても多く、(期待通りの)最高の気候です。
1年のほとんど(3月終わり〜11月終わりくらいまで)がそうした状況でした。特にスタンフォード大学は、ヤシの木をキャンパス内の至る所に植樹しており、感じ方次第では南国にいるかのような気分でキャンパス内を過ごせます。
勉強や研究は大変でしたが、カリフォルニアの(冬以外の)過ごしやすい気候は、あまりメンタルをどん底に追いやらずに留めてくれた1つの要因であるように思います。
毎日過ごすので、こうした立地、地域も留学の際に参考にしても良いかもしれませんね。
まとめ:2年目に向けて
ということで率直に感じたことを綴ってみました。
「留学したこともない人間」の「米国カリフォルニア」での「教育研究」のリアルさが少しでも伝われば幸いです。
アカデミックなことはあまり深く書けなかったので、別の機会に学んだこととしてまた色々書ければなと思います!
そして、スタンフォード教育大学院を修了したその先ですが、留学の2年目として、ハーバード教育大学院(Harvard Graduate School of Education)の修士課程に、もう1つの修士号を取得するために進学することとなりました。
実はすでに、サマースクールのような形でオンラインの学習がスタートしています。
ので、スタンフォードで論文をまとめながらのダブルの勉強は結構すでに大変なのですが、1年目で培った経験をもとに、これまでできなかったことにもチャレンジしつつさらにステップアップしていきたいと思います!
たくさん書きましたので、ぜひご感想、ご意見、ご助言などがありましたらコメント、メッセージなどお寄せいただけると、とてもとても嬉しいです!よろしくお願いします!!
それではまた。