ソリが合わない人間がいるように、ソリが合わない作品もある <高橋哲哉監督『ゼノギアス』>
「捏造された信仰なんてものは、世界や、脆い人の心を補償するために出来たシステムなんだ。だがな、本当の神や信仰は、他人から与えられるもんじゃねぇだろ? 自分自身の中に見出すものだ。語らざるもの、表現されえざるもの、それが神じゃないのか? ”神は応えないもの”なんだ。俺が幼いお前に銃を教えたのは人を救うためだ。お前は、銃は人殺しの道具だと言うが違う。『銃』が人を殺すんじゃない。『人』が人を殺すんだ。」
ーージェシー
裏FF7とも評されるスクウェアのRPG。同監督が独立後に任天堂資本で作った『ゼノブレイド』はプレイ済み。正直ゲームデザインとかシナリオが僕とはソリが合わないなあという印象が強いのだが、本作に関しては教養として学んでおくべきだろうとクリアに至った。
端的に言えば、やはり「高橋哲哉監督とはとことん相性悪いな僕」というのが正直な感想。ただ、本作で表現されているシナリオと世界観の構築に惹かれる人が大いにいることは納得であった。
オタクの時代の萌芽
「あなた達は、あの食料を食べました。そのことをよく認識して、その扉を開けて下さい」
ーーシタン
食べ物が人肉でした。と言う話は昨今のフィクションにはいてすてるほどあるが、この時代にゲームで表現したことは衝撃だったろう。
SF映画の名作『ソイレントグリーン』からの影響がうかがえる。うかがえるというか、名前も「ソイレントシステム」とかつけているくらいなので確実にオマージュだろう。
この時代(PS1)のクリエイターは、僕の敬愛する小島秀夫監督もそうだが、ゲームでこうしたオタク的文脈を遺憾なく発揮するなあなどと。
そういう意味で行けば、脚本家の三谷幸喜さんもそういったところがある。
僕の大好きな『古畑任三郎』シリーズはいまやったら確実に訴えられるほどに『刑事コロンボ』シリーズのパクリだし(各話のトリックまで同じなのほんとうにオマージュじゃなくてパクリだよなあと)。『ザ・マジックアワー』なんかは『サボテン・ブラザース』のパクリだし(こっちはギリオマージュで済む……かな?)。
やっぱり合わない僕と『ゼノ』
「居場所なんてものは、自らが作り出すよりも、誰かに与えられる方が楽なんですよ。そんなことも分からないんですか?」
ーーシタン
アツいシーンでしっかりアツくなれる箇所ももちろんあったのだけれど、感動を誘うシーンがことごとく僕に対しては滑っていて(否定しているわけではなく、僕と合わなかったと言う話ですよ)、イマイチ物語全体に乗れなかった。
特に親子関連の処理がおしなべて「子供が気付く」構図になっていたり、ハマーの扱いであったり……
シナリオ構造上の盛り上がりで言えば、『ゼノギアス』が後の作品に与えた影響を鑑みたとき、派生した作品を摂取したことによる意外性のなさもあったかと思う。
そして決定的に思うのが、『メタルギアソリッド』との差だ。
「好み」という難しさ
「所詮、俺には、俺しかない! 俺は俺によってしか癒されない!」
ーーラムサス
この「差」というのは、突き詰めて研究すれば様々な側面で出てこようが、今回は表層のことについて。
ズバリ、モチーフだ。
『ゼノギアス』はSFも取り上げつつ、宗教、オカルト、神話、聖書といった世紀末平成の日本で流行った要素のごった煮であるように思う。
他方、『メタルギアソリッド』は宗教やオカルトがゼロではないが、神話的要素は皆無であるし、基本的には硬派な政治SFだ。
この「モチーフの好み」という一点を抜き出して考えたとき、僕が『メタルギアソリッド』を愛していて、『ゼノギアス』がハマらなかったことがシンプルに納得できた。
一言コメント
ミァンがえっちですきです。