「好きなこと」で生きていない君たちへ
先日、同僚が「メンタルの不調」を理由に、仕事を休職した。
私はずっと金融関係の仕事をしているが、同僚や提携先、取引先などで毎年必ず「メンタルの不調」を理由に休職する人がいる。8割はそのまま職場に戻ってこない。
また、最近増えているのが「退職代行」を利用して辞める人だ。私の周りでも昨年2人が利用して退職した。「辞めます」の一言も面と向かって言えないくらい、追いつめられていたのだろう。
長く仕事を続けている中で、何人もこの「心の病気」で退職する人を見てきた。年々その人数は多くなっている。今は人手不足もあり、再就職をしやすいのも理由の一つだろうが、「心の病気」が世間に認知され、それを理由に休職や退職をすることが当たり前になったことが大きいと思う。
私自身は明確に心の病気を患ったことは無いが、20代の頃に毎日やる気が起きず、どんな簡単な業務でも嫌で嫌で仕方なかった時がある。今思い返せばあの時はメンタルを病んでいたんだろうなと思う。当時はただの「怠惰」で片づけられてしまったけれど。
昔を思えば、今は優しい時代だと言える。医学が進歩して「怠惰」の理由が「病気」と分かっただけと言えばその通りだけれど、本当に心を病んでしまった人には、ありがたい時代だ。
仕事で病んでしまうのは、今の仕事が辛いからだろう。業務自体が辛いのか、人間関係が辛いのか、精神的なのか体力的なのか、色々理由はあるが、少なくとも「仕事が好き」とは言えない状況だと思う。
SNSで個人や小さな規模の会社でも情報や商品を発信できるようになってから「好きなことで生きていく」と言うワードを聞くことが多くなった。書籍や動画、音声など、様々なコンテンツで語られている。
「仕事が好きならこの世は天国、仕事が嫌いならこの世は地獄」とロシアの作家ゴーリキーは言ったが、確かに一日の多くの時間を占める「仕事」が辛いのならイコール「人生」が辛いと変換できなくもない。
ただ、「仕事が好き」と「好きなことを仕事に」は決してイコールではない。
昔は「仕事が好き」か「仕事が嫌い」かしか存在をしていなかった。インターネットといった情報発信プラットホームがなかったため、自分の得意なことや好きなことを公に伝えることが難しかったのだ。必然的に情報発信場所はアナログ的な集まりに限定されることになる。スポーツ観戦や映画鑑賞、コンサートやライブに集まる仲間といった感じだ。コミュニティ自体の規模が小さいため、そこに「好きなことを仕事に」できる要素は少ない。
しかし今はどうだろう。インターネットやSNSを通じて共通の好きなモノや同じ趣味の人と簡単につながることができる。リアルでなくてもコミュニティを作ることができる。しかもアナログ時代より遥かに大きなコミュニティだ。だからそこからビジネスに繋がるような発信もできる。
つまり今言われている「好きなことで生きていく」思想はインターネットやSNSの「副産物」なのだ。言い換えれば、インターネットやSNSにより「新しいお金の稼ぎ方」が生まれた。ただそれだけに過ぎない。世間では「好きなことで生きていかなければ人生勿体ない」といった強いメッセージがあふれているが、盲信はしない方がいい。あくまでも一つの考え方だ。
何気なく始めた仕事でも、面白いと感じることだってある。逆に好きなことを仕事にしたはずなのに、今では毎日憂鬱だってことがあるかもしれない。アナログな時代に「手に職を付ける」と言う考え方があった。専門的な技術があれば食いっぱぐれないと言う意見だ。しかし、高いお金を払って専門学校に通い技術を身に付けたのはいいが、実際に働いてみると、自分には合わない事がわかりお金も時間も無駄だったなんて話は掃いて捨てるほどある。
「好きなこと」「楽しいこと」「興味があること」は不変ではなく流動的なのだ。無理に「好きなことを仕事に」なんて思わずとも「今の仕事が好き」「今の職場が好き」なら十分に人生は楽しいと思えばいいのではないだろうか。
もちろん「好きなことを仕事」にしたり、高い目標を掲げて有名になったり、お金持ちになったりすることや、自分以外の人々の暮らしや気持ちを豊かにしたいと社会貢献することも素晴らしい。そういう人たちがいるから世界は回っている。
だけど、自分が苦しい思いをしてまで、その人たちの真似をする必要はない。
「将来の夢のために、今辛いことも頑張れる」という考え方がある。すごく正しいと思う。でも、だったら「好きな趣味や大切な人のために、今辛い仕事も頑張れる」だっていいのではないだろうか。
私も25年以上金融業界にいるが、好きでこの業界に入ったわけではない。数字が得意だったわけでもない。転勤がなくてお金の勉強ができるのならいいかなと、なんとなく地元の銀行に入っただけだ。就職氷河期だったので職場をそんなに選べなかったこともある。当時は私のほかに一般職20人、短大卒の女性社員30人くらい、計50人程の同期入社がいた。最初の研修で「計算テスト」をやらされたのだが、私は50人中最下位の点数だった。「ああやっぱり自分は向いていない、、、」と絶望的に思ったのだが、そのまま業界に居続けて、FP1級は何度か滑っているがAFPとFP2級は持っているし、宅建も取った。簿記の資格も持っている。セミナーや勉強会を実施する時にも、一応外観的には「金融業界の人」の面目は保っている。苦手でもなんとなくでやってこれた。苦手だったからこそ、1番になれなくても仕方ないと気楽に頑張れた。
また、今から3年くらい前に目の病気を患った。最初に右目全体がモヤモヤして見えなくなったときは「見え辛いけど治るだろう」と軽く思っていた。治療を開始して視野の下半分が回復した。いずれ上半分も見えるようになるだろうと思っていたところに、強烈な医師の一言。
「もう完全には治りませんよ」
めちゃくちゃショックを受けた。もう仕事なんかしたくない、生きていくのもしんどいと落ち込んだが、すやすや寝ている娘の背中を見てたら「この子が二十歳になるまでは頑張って生きよう」と元気づけられた。今ではすっかり立ち直り、身体が動く限り仕事していたいなと思うようになれた。深く考えず、何となく頑張っているうちに不思議と復活できた。
病気をしたおかげで良くなったこともある。まず健康に気を使えるようになった。実際体調も良くなっている。コンタクトレンズが使えなくなったけど(海のレジャーの時だけ使うけど)メガネをファッションとして楽しめるようになった。普段使い、仕事用、運転用、お出かけ用、家の中用などある。ちなみに今は、普段使いはジュリアスタートオプティカル、仕事用はE5アイヴァン、運転用はオリバーピープルズ、お出かけ用は10アイヴァンとアイヴァン7285、家の中用はJINSと使い分けている。
何が言いたいかと言うと、物事は何でも表裏一体ということだ。マイナスに見えることにもプラスの部分が必ずある。自分の見方次第で物事は大きく変わる。
だから辛いことも上手くプラスに切り替えて頑張れるならそれでいいし、無理なら逃げればいい。メンタル的に辛いなら無理に仕事を続ける必要はない。そんな仕事に価値はない。
入社してすぐに辞めたって「根性がない」なんて私は一ミリも思わないし、「退職代行を使って辞めるなんて常識がない」なんてことも一ミクロンも思わない。そりゃ辞める会社にわざわざ行きたくないだろうし、そんな便利な制度があるのならどんどん使えばいいと思う。
あとたまに「退職の理由はなんだ?」なんてしつこく聞いてくるヤツもいるが、言いたくないなら理由なんか言わなくていい。どうしても言えと言われたら、何となく嫌になった、気分が向かなくなったとかでいい。人間は感情の生き物だ。感情に素直になっていい。「私は理論派だ」なんて言ってるヤツだって、最終的には「理論的に考えてるオレ、かっこいい」みたいな感情で決断しているのだ。
とにかく、何かを諦めたり、途中で嫌になって投げ出したり、逃げたりしても、全然恥ずかしくない。一生のうちの少しだけ立ち止まっただけだ。
また歩けるようになったら進めばいい。
無理に「好きなことで生きていく」をしなくても「好きに生きればいい」のだ。好きな家族のために頑張るでもいい。恋人が喜んでくれるから頑張るでもいい。好きな趣味やアイドルのために働くだっていい。目標や夢に向かって仕事に邁進するのだってもちろんめちゃくちゃ素晴らしい。
で、頑張れないときは休めばいい。
自分で「今日の自分頑張れたな」「今までの自分頑張ってきたな」と思えたなら本当に幸せだと思う。
「今日は頑張れなかったな」「今まで頑張ってこれなかったな」と思っても「明日から、今から頑張ろう」と前を向けるなら十分に幸せな証拠だ。
「とても明日から頑張れない」「前を向く自信がない」と思ったって、決して不幸じゃない。ただ「不安」なだけだ。不安なら休んで気力の回復を待てばいい。現実的な部分で言えば、日本のセーフティーネットは意外としっかりしている。使える制度はどんどん使えばいい。
今はメンタルやLGBTなど、昔では認められにくかったことにも理解があり、個人を尊重する優しい世の中になった。一方で国内の貧困問題などについては、努力不足が原因と言われたりして、どこまでも「自己責任」が求められる「ドライな」世の中になったともいえる。
「優しいけど、ドライ」だからこそ、自分は自分の一番の理解者でなければいけないと思う。自分に「優しく」接し、自分を客観的に「ドライ」に見つめ、自分の「好きに」生きよう。
私自身が人生折り返しに来たから、家族を持ったから、好きでもない金融業界を長く続けられたから、病気を患って落ち込んだからこそ、そう思う。
大丈夫、未来はきっと楽しくなる。
自分を大好きでいよう。
私がクヨクヨとよく落ち込んでいた若い頃に励まされた言葉がある。村上春樹の小説「1973年のピンボール」に出てくるセリフだ。ちなみに村上作品の中で2番目に好きな小説だ。
「ねえ、誰かが言ったよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」
バーテンダーの「ジェイ」が友人である「鼠」と呼ばれる青年に対しかけた言葉である。温かい励ましの言葉だ。私自身、何度もホッとさせられたセリフだ。
しかしそれに対し、当の「鼠」はこう答えるのだ。
「いったいどれだけの水を飲めば足りるのか、と思う」
昔の私はこの「鼠」のセリフに「うーん、、、」と考え込むことしかできなかった。自分は励まされているのに、なぜ「鼠」はそんな答えしか出てこないのだろう、と。
でも今の私なら、「鼠」にこう言葉を返す事ができる。
好きなだけ飲めばいいよ、と。
今日はここまで。
現在フォロワー1000人目指し毎日投稿中。記事を読んだら「スキ」してもらえると嬉しい。「フォロー」してもらえると更に嬉しいです。
引き続き、どうぞよろしく!