「かさじぞう」から日本の初等教育を考えてみた件。
小学2年生の娘は毎日国語の「本読み」の宿題をしている。国語の教科書の中から指定された話を読んで、親がそれをチェックする。ここ最近「かさじぞう」の話を聞かされているのだが、何度聞いても悲しくなってくる。
貧乏なおじいさんおばあさん夫婦が、家の中にあった「すげ」という草を使って笠を編み、町へ売りに行ってお金を儲け、正月の準備をしようと言う話だ。実際に町へ売りに行ってみると笠は全く売れず、とぼとぼと帰る道中、吹きっさらしのお地蔵さんを見つけ、笠を被せてあげる。手ぶらで家に帰ったおじいさんをおばあさんは責めることなく「いい事をした」と誉める。その夜、お地蔵さんがお礼にもち粉など色々なお正月用品を、おじいさんおばあさんの家に届け、めでたくお正月を迎えることができました、というストーリーだ。もしかしたら多少アレンジがあるかもしれないが、大筋はこの通りだろう。
手ぶらで帰ってきたおじいさんは言う。「この年末に笠なんて買う人はおらんのじゃろうのう」。おばあさんも「ほんにのう」と同意する。実際に町では門松や餅粉などお正月に使うものが売られていた。
そうなのだ。おじいさんもお金を儲けようと思ったら「人が欲しがるモノ」を売らないといけないのである。笠ではなく、竹を切って門松を作るべきだったのだ。門松であればお正月の用意で必要な人もいたはだ。笠だって「吹雪」だったり雨が降っている時なら買う人もいるはずである。ビジネス的な言い方をすれば「顧客が欲しいものを考えていない」という事になる。
この後、おじいさんおばあさんは、菜っ葉を食べお湯を飲んで寝る。その後お地蔵さんが笠のお返しの品をたくさん持ってくるのだが、悲しいかな現実は「菜っ葉を食べ、お湯を飲んで寝る」で終わりである。お地蔵さんが動くなんてファンタジーはやってこない。
この話は「情けは人の為ならず」的なことを啓蒙していると思うのだが、現在の考え方としては「人が欲しいと思うものを提供しないとビジネスは成立しない」といった事実を教えた方がいいのではないだろうか?
なんてことを思いながら、毎日娘の読む「かさじぞう」を聞いている。
皆さんはどう思いますか?
今日はここまで。
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