見出し画像

世界を形づくる3つのUltimate Question -古典50冊の感想文(3/4)

古典50冊からの学びの結論として、世界を形づくる3つのUltimate Question の紹介をし、UQをフレームワークに使って50冊の本をジャンルごとに整理している。前回は古典哲学と近代哲学を紹介した。今回は物語(ギリシャ神話・悲劇・叙事詩)。

人類にとっての最も重要な普遍的問い UQ(Ultimate Question)は以下のとおりであった。
UQ1:人間とはなにか・どのように生きるべきか
UQ2:人はどのような共同体を築くべきか
UQ3:世界/宇宙はどのように成り立っているか

*******************************************************************************

(3) 物語(ギリシャ神話・悲劇・叙事詩):予言の実行/忠告の無視

ここでは近代文学ではなく、物語の中でも特にギリシャ神話・悲劇・叙事詩について話したい。
白状すると、物語とUQの関係を、僕はまだ整理しきれていない。レヴィ・ストロースジョーゼフ・キャンベルの力を借りればあるいは少し見えるものがあるかもしれない。本記事の冒頭で物語は「UQやその答え・示唆、あるいはUQを追求することの喜びと苦しみを物語に変えて伝えるもの」と(お茶を濁して)書いた。

ギリシャ哲学と同様、ギリシャ神話・悲劇・叙事詩の中には、現代に至るあらゆる物語のモチーフ、ストーリーの構造、表現技法の素形がある。短い口伝で伝えられた神話、祭りで催される演劇として進化した悲劇、そしてホメロスを始めとする吟遊詩人がエンターテイメントとして語った長大な叙事詩、はそれぞれ異なるフォーマットで発展した。それでは、UQとこれらの物語の関係はなにか。そこに共通点はあるのか。

UQの視点から敢えてギリシャの叙事詩・悲劇・神話の共通点をあげるとすると、「予言の実行/忠告の無視」だと思う。

ソポクレス『オイディプス』のオイディプス王は「父を殺し母を犯すだろう」という予言のために国から遠ざけられたが、怪物スフィンクスの謎掛けを解いた英雄として祖国にもどり意図せず予言が実行されてしまう。国を荒廃させている「穢れ」の原因が自分にあることを知った王は絶望し、自身の眼をくり抜いてしまう。オイディプスは聡明で、勇気に溢れ、高潔な王であった。なにも悪いことはしていない。それでも予言は実現し、悲劇が引き起こされる。

アキレウスはホメロスの『イリアス』においてトロイア戦争に加わると命を落とすことを予言されていたが、友の死をきっかけに参戦。敵将を倒し戦の勝利をもたらすが予言は実現し命を落とす。

オイディウス『変身物語』のイカロスは父の忠告を無視して太陽に接近し過ぎたことで蝋が溶けて翼がなくなり墜落して死を迎える。

...例を上げればきりがない。物語にはつけ上がった者への罰を神が与える構図もよくあるが、オイディプス王のように”勧善懲悪”とは言い切れないものが多い。(敷衍すると、浦島太郎の玉手箱も鶴の恩返しも同じかもしれない)

これは何を示しているのか。
かなり強引なのだが、僕はこう解釈している。
「人間はこう生きるべき (UQ1) という答えはもう出ている。それも極めて明確な形で。でも人はそれを全うできず、破滅してしまう。 」

UQ1に対する答えなんて古今東西変わらない。人に親切に、節度を持って、etc. それは神が与えた予言のように明確だ。それなのに多くの人はそれを実行することができない。その結果として忠告を無視した神話の登場人物のように、悪しき予言が実行される。
これらの物語には「忠告は聞きましょう」というシンプルな意味合いを超えて「それがわかっていても守りきれないのが人だ」という自戒が含められているように思う。

その意味で、ゲーテの『ファウスト』は非常に面白い。(ギリシャから一気に近代に飛ぶ)
ファウストではUQと物語がより明確な形での融合をしているのだが、予言が実行「されない」
『ファウスト』は「常に向上する心をもつもの」として神に選ばれたファウスト博士を、悪魔メフィストフェレスが悪の道に引きずり落とせるかを神と賭けて、あの手この手で誘惑する話である。
現世的享楽に溺れたファウストに「留まれ、お前はいかにも美しい」というセリフを言わせることができれば悪魔の勝ち、ファウストの魂は滅びる。
悪魔は酒場の馬鹿騒ぎ、官能、地位、金など数々のものでファウストを誘惑する。(これらはすべてUQ1"なんのために生きるのか"への答えの仮説となっている。) しかし、悪魔はことごとく失敗し、ファウストは現世的享楽から美への追求、隣人への愛へと、より高次の意義を求める。
最後にファウストは理想的な国土の建設にとりかかる。そこで「自由な土地に自由な民と共に住みたい」という人生の意義を見出したファウストは「留まれ、お前はいかにも美しい」というセリフを口にしてしまう。
かくて悪魔は賭けに勝ち、ファウストの体は魂から抜け落ちる。
しかし、その魂が悪魔にとらわれる寸前、神はその魂を救い天上に引き上げる。ファウストの理想は天の理想に達するものになっていた。かくて悪魔の「予言」は不完全にしか実行されない。そこには人間の"足掻き"の勝利が見られる。

*******************************************************************************

UQをフレームワークに使って物語(ギリシャ神話・悲劇・叙事詩)を整理した。次回は科学について。

全体の目次は以下の通り。
「世界を形づくる3つのUltimate Question -古典50冊の感想文」
(0) 人類普遍の問い - 3つのUQ
(1) 古典哲学:UQのルールメイキング
(2) 近代哲学:UQへのアプローチの多様化

(3) 物語(ギリシャ神話・悲劇・叙事詩):予言の実行/忠告の無視
(4) 科学:UQからの価値概念の分離

いいなと思ったら応援しよう!