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おん かかか びさんまえい そわか
お寺やお堂だけでなく、道路脇などに、ひっそりと佇んでおります。その正式名称で「じぞうぼさつ」と呼ばれるものがあります。
私に小さい頃には、「おーかーおーかーあみいっちゃんまい〜?」なんて
(よく聞こえないぐらいの声……)で、おばあちゃんたちが熱心に唱えてるのを見て南無阿弥陀仏(浄土宗系)と「何か違うんかなぁ?」と思っておりましたね。
いや、そんなややこしいことなんて知らなくて、「何をそんなに拝み倒しますか?」と。
出だしの「おーかーかー」が印象的ですので、今でもその冒頭の部分はよく覚えているんですよね。
私は何年か前に、妙な病気で生死を7日ばかり、うっかり生死を彷徨ってしまったいました。いきなり倒れたそうですので、彷徨っていという報告でしたね。
医者は家族に「ハーフアンドハーフ」と身内言っていたらしいのですよ。いやいやピザじゃあるまいしですね。勿論、生存確率ですね。
で、その間はいわゆる臨死体験をバッチリと経験しましたよ。なかなか経験できるものではございませんからね。貴重でしょう?
現場報告としての忘備録が残っておりましたね。それによると、空も急角度の岩崖も全てが黄金色。こんな美しいところがあるだなんて!本当に、こんなことがあるのかと思うほどの多幸感が全身を包んでるいたんですよ。
そして、あらゆる場所にお地蔵さん。勿論、岩崖のくぼみにも大勢いらっしゃいます。下々を見たら機関車からの黒煙が渦巻いて、まるで軍国主義そのもの。
兵隊たちが足並みを揃えて行進していました。蒸気機関車の煙で、まるで天の方向の美しい色合とは真逆のじめっとした陰湿な薄暗さ。全てはモノトーンです。
「しかし、そこは気にしなけりゃ、やはり実に心地いいじゃあないか!」と。
まさか、ここがあの世だとは信じてはいなかたですしね。よく三途の川なんて話がありますが、それを見るのは仏教系の人でしょう。「例えば、カトリックやイスラムの人々が和風の三途の川を見ますか?」って話ですからね。僕がこの世に生を受け、生きた中で、テレビやら雑誌、漫画等から散々とメディアから刷り込まされていますからね。
そいう事で、所詮は脳内が勝手に作り上げたイメージが視覚化されたものでしょうねと。そんな危険というか訳のわからない状況でも思ったりしている始末。
しかし、脳内で快楽物質が出ていたとしても、しつこいようですが、いや、しつこく書きたいぐら、あまりに心地よすぎてすぎて「もう、ここから帰りたくないなぁ」と思うぐらい全てが美しく素晴らしいんですよね。
「ここって最終的な勝ち組の来る場所じゃん」とまるで殿堂入りした気分なんですから。
「いよいよ輪廻転生も最後かぁ。随分と色んなことあったもんなぁ、たぶん」なんて…。輪廻転生という六道から離脱することです。それを「悟り」と言います。
そんなこんなで、ボケーっとしておりましたら、ついぞや暇になってきてですね。多分、今、夢を見ているか死んでいるか?なんだから「こりゃ何度でも死ねるぞ!」といいアイディアが浮かんだわけですね。
テキトーな場所にあった高い滑り台。滑ったら一生をクリアって面白い遊具を発見しましてね。
「つるーーーー。ふわぁ。」
はい。これで人生を一回終わりました。
何回やっても死なないですねー。うーん。そりゃそうだし、輪廻転生が果てしなく続けれております。
「なんだか、くだらないなぁ」と早くも飽き飽き気味でございます……。
「これでいよいよ神様にでもなれるのかと思っていたのに!」プンプン。
昏睡状態に入って7日目のこと。なんやら、小人がコソコソとしています。
私は彼に話しかけました。
「おしっこがしたいいんですけど、このままいいですか?」
「どうぞ、ぞうぞ」
はい、悪運の強すぎる私は7日分を放出しながら、この世界に戻ってきちゃいました。なんだか色んな意味で残念でしたよ……。そして「あんな短い時間で、7日も経っていただなんて」
退院してから、しばらくして、その「おーかーカミちゃんマイ〜」がみたいな念仏が気になって、わりかしググりましたね。
そうしたら、 どっかの会社か神社だかのブログに以下の解説を発見。
お寺やお堂だけでなく、道路脇や道の分岐点などでよく見るお地蔵様。正式には「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」と呼ばれ、釈迦の入減後、弥勅菩薩(みくろぼさつ)がこの世に現れるまでの間、人々を救済し幸福をもたらすとされる御仏で、十三仏のひとつです。お地蔵様は人の願い事を聞き、神に運び届ける生き方を選び、この世に残ったそうです。お参りするときの作法は、両手を合わせ(諸説あります)。「おん かかか びさんまえい そわか」という「真言(呪文)」を3回唱えます。この「真言(呪文)」を唱えないとお地蔵様は振り向いてくれないようです。「おん」は「帰命・供養」、「かかか」は「笑い声」、「びさんまえい」は「稀有な」、「そかわ」は「成就あれ」という意味があるようです。
単純につなげちゃうと、うーん。なんだか凄く難しいですね。
なるべく、お地蔵様にお祈りをして、迷いの六道(輪廻転生の人間道、畜生道、地獄道、餓鬼道、修羅道)にいる私たちへ「目覚めよ」と呼びかけておられます。つまりは、六道(しんどそうですね…)から抜けて天道へ、お地蔵様は手にした錫杖を聖なる音で打ち鳴らし、迷いの六道にいる私たちへ「目覚めよ!」とおしゃっているってことですかね。
私が、あの世で、たくさんいらしたお地蔵様は天道へのルーレットで止まれと教えてくれたのかもしれませんね。
子供の頃に多くのおばあちゃんは祈って、お菓子や果物をお供えしていましたが、戦争体験もされたでしょうな真面目なおばあちゃん達。下を向かず天道への道に進まれたことでしょう。というか、その世代までは、そういうことを知っていたというですね。
鬼滅の刃の鬼の意見(人間なんて死んだら元素に戻るだけ的な…)に思いっきり「そうだよね」って賛同している私も、どこかで願っていたりします。でもなぁ、どう考えたって三途の川なんてないですよ。平気で見たって言う人って、、、
よくよく考えれば、生かされるって大変ですよね。どっかの誰かが「生きてきるだけで大したもんだ」と言いました。明日もがんばろう!