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ケーキ屋を営むもよし、ポーカーを打つのもよし 【#15】
「ネットメディアのこれから」をぼくもちょっと考えてみる 7/11(mon.)
朝起きると、ガーシーが参院選で当選を果たしていた。ガーシー先生の爆誕だ。リモートで選挙活動して当選した議員がかつて世界にいただろうか。
【拡張家族実験】
— 5時こーじ | 朝渋代表 (@kojijico) July 11, 2022
宮古島での第一号拡張家族は、長谷リョーくん@_ryh。3泊共にして本当楽しかったし、新しい家族の形が築けて嬉しい。宮古島だからこそ話せる話ばかりで素敵な時間だったなぁ。宮古島興味ある方は是非連絡ください〜♪ pic.twitter.com/FJkmmItS8b
宮古島でお世話になった夫妻。また二週間後、東京でリエさんとジュアちゃんを交えて会えることに。拡張家族同士がつながって、本当の拡張に。
宮古島滞在中は天気に恵まれて、ずっと晴天だった。心穏やかに過ごせた。下地島空港は新設されただけあり、本当に気のいい場所・設計だ。インバウンドが戻ったら、間違いなく海外のお客さんも喜ぶだろう。
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東京に戻る機内で『22世紀の民主主義』(成田悠輔)を読む。今回の安倍さんの事件、選挙、そして日本の行く末。民主主義が機能不全になったときに語られる「革命」の本当の意味を考えながら読書した。
編集の多根さんによると本著は成田さん自身が執筆されたそう。筆致からして明らかに本人がペンを走らせているのが分かる。大きな構成としては、データアルゴリズムは後退する民主主義にどんなアプローチが可能なのか:①逃走、②闘争、③構想と大きく三つのパートから語られる。
21世紀後半、資産家たちは海上・海底・上空・宇宙・メタバースなどに消え、民主主義という失敗装置から解き放たれた「成功者の成功者による成功者のための国家」を作り上げてしまうかもしれない。選挙や民主主義は、情弱な貧者の国のみに残る、懐かしく微笑ましい非効率と非合理のシンボルでしかなくなるかもしれない。私たちが憫笑する田舎町の寄り合いのように。そんな民主主義からの逃走こそ、フランス革命・ロシア革命に次ぐ21世紀の政治経済革命の大本命だろう。
当然、本著を読み進めながら真っ先に想起されるのが東浩紀さんの『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』であるが、研究者としてのバックボーンが東さんは人文思想、成田さんはデータ科学なので、具体のHOWの解像度が高い。とはいえど、まだまだ構想の域は出ておらず、だからこそタイトルは「22世紀の」と銘打たれているのだろう。
東京に戻って急遽、箕輪さんと宇野さんのトークイベント「ネットメディアの現実とこれから」へ遊びに行くことに。慌ただしい。
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イベントの冒頭で、宇野さんが「読者からユーザーに切り替わってしまうとき、メディアからサービスに変わってしまう」といった深遠で芯を食った発言があった。日本における近年のメディア史の構造を確認するまでもなく、グロースを志向し、マスの最適化したメディアはコンテンツのオリジナリティを失い、最終的には成長が止まる。一方で、「宇野さんがPLANETSを長年続けてこれたのは、一度も商売をしなかったから」という。
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けれど、ぼくなんかはそれでいいんじゃないかと思う。このマスを失った社会では、あちこちに言論の小宇宙がある。個人はマイクロメディアの象徴であるけれど、小規模のレーベルが乱立し、好きなメディアコミュニティをそれぞれが応援する。そのメディアは別に資金調達をするでもなく、上場を目指すでもなく、健康に長く存立していればそれでいい。そんな感じなんじゃないか。
一方、ふと今は見えていないけど、いつかあり得る展開として頭に浮かんだことがある。ぼくはケニアで暮らしているけれど、ケニア人がNetflixでふつうに『今際の国のアリス』を観ていたことに度肝を抜かれたことがあった。まああと『イカゲーム』なんかは当たり前に。グローバルプラットフォームに乗っかることで、コンテンツがボーダレスに受容される。文化なんか簡単に飛び越えて。
翻訳技術が急速に進化する今、テキストメディアを含む広い意味のコンテンツは今後まだまだ可能性がありそう。そういえば、ジャンプ+が今後英語でも同時に作品の配信を行なっていくと発表していたな。
夜、地元の友達と飲むためにイベント終わりで月島に直行。楽しく飲んでいると、隣のおじさんにタバコを頼まれたので渡す。そこからちょっとした会話をしていたら、隣で飲んでいたお二人は両方ともにリクルート出身で、しかも20年近く勤められていたという。大先輩だ。ひとりの方は今ロスで事業をやられているらしく、ぼくもベガスに行くので、アメリカでの再会の約束を交わした。
もうひとりの方は月島に住んでおり、「月島のケーキ屋の息子です」というと、「ああ、あそこの!いつもお世話になっています。じゃあボンボンですね!」と言われて爆笑した。街の小さなケーキ屋の息子なのでボンボンなはずがないが、この小さな街で愛されているのを実感すると、嬉しいし、両親に対するリスペクトの念が深くなる。
街に根ざしたケーキ屋を淡々と営むもよし、ケニアでポーカーを打ち続けるもよし。人生の自由さの振り幅は限りがない。
ポーカープレイヤーにとっての結婚のあり方に思うこと 7/12(tue.)
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ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。