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三ヶ月よりも先の未来を考えない 【#16】

資本主義に内在するいくつもの論理 7/18, 19(mon, tue.)

土曜日に打ったファイザー二回目のワクチン接種の副反応が長引いて熱が一向に下がらない。結局、月曜日もずっとベットの中で療養。

3日間の寝たきりの末、ようやく熱も平熱に戻り、腕の痛みも引いた。

手始めに読みかけであった『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』(小川さやか)を読み終える。

小川さんの『チョンキンマンションのボスは知っている』も傑作なのだけれど、今作はいい意味でもより薄口の仕上がりとなっている。参与研究を通じた具体事例からインフォーマル経済の最前線で何が起こっているのか、その背景にある社会倫理が詳述される。大きな枠組みとしての資本主義は共有しながらも、アフリカで胎動する“下からの資本主義”には別のロジックがある。

普段、日本で過ごしていたら絶対に思いも馳せないような暮らしのリアルと「そんな論理があるのか」と納得してしまう倫理のあり様。地に足の着いた人類学の本は、しかも日本人が著者の本は希少だし、思考を揺さぶるきっかけを与えてくれる。

夜になり、待ち合わせの歌舞伎町へ。東新宿駅から店を目指すと、ちょうどホスト店が集積する通りを歩くことに。ここにもまた、独自の論理で駆動される経済が拡がっている。

NEW STANDARD社の久志さん、編集者の岡田くんで中華を食べた。店員さんがみんな中国人で店内では中国語が飛び交っている雰囲気にせよ、店内の表記が中国語しかないにせよ、ひさびさにケニアに戻った感覚を一瞬持った。ぼくはケニアにいる間、大半の時間を中国人連中と過ごしていたので、ケニアにはいたのだけれど、内実としては「中国にいた」と言った方が正確な気がしている。

日本に滞在している間に出会う経営者の先輩方は、狂気にドライブをかけながら、演出のない人生をコンテンツとして、文章としてアウトプットするぼくの生き方をみなさん愉しんでくれている(ありがたいことではありながら、当人としてはなかなかにストレスフルでもある。薄氷の上を走っている、という意味において)。

平成後期以降、太宰治なり沢木耕太郎なり、動物性に根ざしたピュアな狂気のような衝動を文章に落とし込んでいる作家は存在しないのではないか、という話になった。もちろん冒険家・ノンフィクション作家で、それなりに話題を集める作品は何冊もある。けれど、どれをとっても目的・結論ありきの、悪く言えば背景に打算の見える“冒険”が多いようにも感じてしまう。

三ヶ月よりも先の未来を考えずに、ときに全リスクを孕んだオールインから逃げない(というか、逃げられない)生き方をなぜか背負い込んでしまった今のぼくの生き方が、どこに終着するのか。当人でさえまったく分かっていない。ソフトランディングのイメージすらない。

この破滅願望はどこから来て、どこへ向かっているのか。まあ、ベガス行きがいよいよ迫ってきたわけで。仮に大金を手にしたにせよ、犬死したにせよ、どちらに転んだとしても美味しいことに変わりはない。そう思えているのなら、先の見えない闇だとしても飛び込まない理由はないだろう。

“トレードオフ”の向こう側へオールインできるかどうか 7/20(wed.)

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