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とある一日が人生の分岐点になる 【#6】

“終わり”はあまりにも突然にやってくる 5/9(mon.)

河野家の大事な一員であるナミホさんが、RAHA KENYAのポップアップ出店のため、日本へ一時帰国してしまった。

毎日一緒に過ごす人が一時的にでも去ってしまうのは、シンプルに寂しいものだ。

いつも通りカジノへ行き、夜の8時頃までそれなりにポーカーをこなす。ゲーム終わりに、オーガナイザーのチームメンバー全員でミーティングが催された。結局のところ、自分以外は全員中国語なので、適宜英語で内容を通訳してくれるとはいえ、細部の部分は理解できない。

リーダーであるジェイソンが「もう辞めたい」というので、従者であるぼくはすべての決定に従わなくてはならない。始めるときも、終えるときも一緒だ。それにしても、どれだけ突然やねん、という感は否めない。けれど、初めてのことではないので慣れっこだ。いつこの日が来てもいいように、それなりにシミュレーションもしていた。

正直なところ、先月は馬車車のように根詰めてフル稼働したので、休息も必要だ。だから、少なくとも一週間はナイロビで何もせず、ダラダラと、軽くジムへ行ったり、読書をして過ごしたい。ポーカーは基本的にやらなくていいかな。

中国人の人間関係は表面上ではフレンドリーでいて、根の深いところではクリスプにドライだ。一年半毎日彼らと行動を共にするなかで、肌感の部分で自分なりに彼らの文化や規範にも慣れてきた。とはいえ、師のジェイソンとは今後も関係は続いていくはずなので、しっかりと"Keep in touch"はしていこうと思う。

日本に帰ったとして、なにをするのか

母親から祖母の容態が思わしくないとの連絡が届く。オーガナイザーの役回りがいきなり終わったことも一つの啓示なのかもしれない。ケニアに来てから一年半、一度たりともケニア国外に出ることなく留まってきた。このタイミングを区切りに一度、帰国を挟むのもいいのかもしれない。

問題は、日本に帰ったとして、皆目やることが思いつかないことだ。無論、日本に帰って会いたい人は山のようにいるので、夜はご飯を食べる時間で埋められるだろう。でも、日中は何をして過ごすのか。サウナに行ったり、ラーメン屋を巡るのもいいけれど、数日もすれば飽きるのでは。となると、ケニアに来る前のように再び廃人化してしまう自分の像が浮かび、じゃっかんの恐怖心がもたげる。日本でアミューズメントポーカーなんてやりたくないし。

日本の滞在をミニマムにできるなら、すぐにラスベガスに向かうのが最適解な気もするが、いかんせんぼくはコロナの注射を打っていないので、日本に帰ったとしてら注射を打つための期間で足止めを食らうのがほぼ確定する。どうしたものか。まあ、今日からオーガナイザーとしての活動もなくなったので、最低一週間ほどはナイロビでゆっくりしながら、次の行動計画をゆるゆると、でも確実に策定したい。

“観る”でも“読む”でもなく、“飲み込む”イメージで

Netflixでドキュメンタリーシリーズ『アート・オブ・デザイン』のシーズン1を観る。デザインを基軸に、イラストレーション、フットウェア、舞台、建築、自動車、グラフィック、写真、インテリア…各ジャンルの一線で活躍するデザイナーたちの思考を解剖していく濃密なシリーズだ。

彼らの物の見方、デザインのプロセスを覗き見ることで、世界の新しい切り取り方を知ることができる。シーズン1において、特に心奪われたのは第二回に登場するティンカー・ハットフィールドだ。彼はナイキのエアジョーダンシリーズを手がけたシューデザインにおける巨匠だ。世界に散らばるあらゆるエッセンスを自分のデザイン思考に取り込みながら、靴に埋め込み、表現を実現していく。その視点や姿勢はどこまでも幼き少年の心と共にある、そのナイーブさこそが崇高に思える。

ぼく自身、コンテンツと向き合うときのイメージとして、”watch”とか”read”というよりも”gulp”といった感じで、ごくごくと体内に飲み込んでいくことを思い描いているので、彼の創作プロセスは、とりわけアウトプットの観点で感化される点が多くあった。

人はたった一日でまるっきり怠惰になる 5/10(tue.)

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