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<ロダンの庭で> 文体の研究

 遠くで夏空が重い雲を従えている。
 間近に迫った夕立の湿気が肌に纏わりついて気持ちが悪い。これだから夏は嫌いだ。
 春樹は恨めしそうに水平線を睨みつける。春生まれだから、春樹と名付けられた。
 春は、いい。
 爽やかな風が頬を撫で、柔らかい緑が生命の気配の消えた冬の山に息吹を吹き込み、色とりどりの花々が庭中をマティスのキャンバスのように彩る。
 まさにヴィーナスの誕生だ。そう思いながら春樹はキャンバスに向かった。いつのまにかヴィーナスがあの子の顔になっている。
 まだ吹っ切れていなかったのか。夏の暑さにも自分の女々しさにもうんざりして、春樹は筆を置いてベッドに転がった。それから母が夕食の時間に呼びに来るまで不貞腐れたまま眠っていた。
 もう、夏祭りは始まっただろうか。


 ひと雨来そうだな。
 海から上がると、夏樹は岩場に掛けていたバスタオルで身体を拭いた。さっきまで真っ白だった入道雲が今は煙で煤けたように黒ずんでいる。
 夕立の後は晴れるだろうか。今夜は夏祭りだ。ずっと好きだったあの子を誘った。彼女は俺の目をじっと探るように見つめたあと、軽く目を逸らして小さく頷いた。それがいい返事かどうかはわからないけれど、とにかく一緒に夏祭りに行ってくれるらしい。
 よし、勝負はこれからだ。
 夏樹は自分に喝を入れると、自転車に跨った。雨雲に追われるように自転車をこぎながら、あいつと競争だ、とハンドルを握る手に思わず力が入る。小麦色に焼けた腕を見て、夏樹はにんまりした。筋トレのおかげでさらに逞しく、ずっと男らしくなったと自分でも思う。
 彼女の浴衣姿を思い浮かべる。白くてほっそりした頸が色っぽいだろうな。あ、でも、俺、浴衣持ってないわ。まあ、いっか。
 夏生まれの夏樹は夏が好きだ。
 ああ、やっぱり夏はいい。


 今日シャワーを浴びるのはこれでもう二度目だ。夕方は少し涼しくなってくれればいいのだが。
 冬樹はバスタオルで身体を拭きながら、ほとんど日焼けをしていない自分の腕を見た。運動部にも所属していないから少年がそのまま高校生になったようである。スポーツは苦手ではないが、やはり読書の方がいい。
 しかし、こんなに暑いと本を持つ手にも汗をかいてしまう。この前彼女にもらったブックカバーのおかげで新品同様に背筋を伸ばしている本を見る。誕生日でもないのに突然、「はい、これあげる」と彼女がくれたのだ。サプライズは嫌いじゃないけど、彼女の行動にはいつも驚かされる。


 秋樹あきはさっきから鏡の前に立っている。鏡に映った自分を見ながら、首の傾げ方や少しはにかんだ笑顔の作り方を確認する。
 うん、大丈夫。
 そう言って少しだけ浴衣の襟を抜き、後毛を引く。もう一度鏡の中の自分の姿を確認すると、とっておきの笑みを浮かべた。
 今夜の夏祭りには冬樹を誘った。あまり乗り気じゃなかったみたいけど、僕も浴衣を着て行くと言ってくれた。
 やっぱりこういう時は冬樹よね。春樹は夏祭りなんて付き合ってくれないからつまらないし、それに、あいつ。あいつはきっとTシャツとダサいハーフパンツで来るに決まってる。誘われたから勢いで頷いちゃったけど、それじゃせっかくの私の浴衣姿が台無しじゃない。そんなの、耐えられないんだから。
 
 ごめんね、夏樹
 バイバイ、夏樹……



先日、初めて村上春樹を読んだ。食わず嫌いをしていたわけではないのだが、これまで一度も読んだことがなかったのだ。春樹ファンの友人も少なからずいるが、どんな作品なのかと聞いても決まって、「よく解らない。現実と虚構が交錯する世界というか。それに好き嫌いが分かれる。私は好きだけど、お勧めともいえない。まあ、とりあえず読んでみたら?」という答えが返ってくる。

そんなわけで今日まで読まずにきたわけだが、先日友人が「初めて読むにはどうかと思うけど」と言って貸してくれたのが、『海辺のカフカ』だった。

作品そのものより、反論を浴びることを承知のうえで述べると、世の中には読み手にも書き手にもハルキストが多いなというのが率直な感想だった。時折りハッとする文章に出会った時に感じたあの感覚は、村上春樹臭だったのだと。

ならばいっそのこと私もハルキストになって書いてみようかと、ふと思いついた。
そうして書いたのが、この短篇である。どの程度似ているかはさておき、たまには他人の文体で書いてみるのも面白い。おまけに人格まで変わったような気分になるから不思議なものである。

だが、ここで気がついた。
誰かの文体を真似るということは、自我を失うことにほかならないのだと。そこにはもう自我は存在せず、自分の言葉も存在しない。
真似は所詮、真似にすぎない。

誰かの文体は誰かのものであり、自分のものではない。文章とは巧拙ではなく自分の言葉で語られるべきであり、その言葉こそが文体をつくり、自我を表現するのだ。

文体とはすなわち、自画像であると……



<追記>
本文執筆中に白鉛筆さんの記事に出会い、こちらもなるほど、と唸りました。


<ロダンの庭で>シリーズ(9)

※この作品が収録されているマガジンはこちら↓





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