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<ロダンの庭で> 自分の物は自分で守れ

On protège ce qui est à soi.

その映画を、私はたまたま知った。


 『九人の翻訳家』


世界的ベストセラー、ミステリー三部作『デダリュス』の完結編が各国で同時発売されることになり、原稿の流出を恐れた出版社が九人の翻訳家をフランスのある館の地下に隔離して翻訳をさせる。

ダン・ブラウンの小説『インフェルノ』出版時の実話を下敷きにした映画だそうである。


翻訳家たちは事前に機密保持の契約に署名させられ、入館時に厳しい所持品チェックまで受ける。携帯を含む通信機器は没収、外出はもちろん、外部との接触は一切禁止。全480ページのうち毎日20頁だけ原稿を渡され、終業時にはすべて回収されるという徹底ぶりである。

厳重なセキュリティが敷かれた地下には数えきれないほどの映画や本が備えられ、ボーリング場やプールまであるという快適な環境で翻訳が始まった。

そんなある晩、事件が起こる。


アングストローム出版社の社長、エリックの携帯に、冒頭の10頁をネットに流出した、24時間内に金を払わなければ次の100頁も公開し、要求を拒めば全文を流出させるという脅迫メールが届いたのだ。

原稿にアクセスできるのはエリックと正体不明の著者、オスカル・ブラックだけ。

犯人は誰なのか。
厳重な監視下でどうやって原稿を盗んだのか。

翻訳家たちに疑いがかかる中、事件は思わぬ展開をみせる。


本作の評価はまちまちだが、この映画の評価を簡単に決めつけてはいけない。

なぜなら、本作における最大の問いは、犯人探しフーダニットトリックの解明ハウダニットではないからである。



10億ドルの売上げを叩き出した『デダリュス』。

結末を予想して盛り上がる翻訳家たちに、その傑作も今では流行り物になり下がったとケドリノスが嘆く。

著者は金のために続編を書き続けるだけで、もはや傑作は生まれないという意見に反論も出たが、結局、ほぼ全員が芸術では食べていけないという現実を認めた。

そんな中、カテリーナだけが、『デダリュス』の翻訳を任されるのは翻訳家にとって最大の名誉だと目を輝かせる。

冒頭から作中人物であるレベッカのコスプレで登場したカテリーナは異色の存在だった。登場人物に完全に同化し、地下のプールで溺死体験をすることまで試みる。

そんなカテリーナを観察していたアレックスは、『デダリュス』の解釈をめぐって意見を交わすが、二人の見解は分かれる。

最年少で名もないアレックスが今回の仕事にありついたのは、既刊の第二部を無断で自ら翻訳してネット上に流し、人気を博したからであった。

前任者の翻訳は商業的であり、読者は翻訳家の交代を求めているとエリックに訴えて第三部の翻訳家に抜擢されたのだった。

ところで、翻訳家の役割とは何だろうか。


小説家になり、自分の名前で作品を世に出すことを夢見ていたエレーヌは、作家としての才能のなさを突きつけられ、翻訳家にしかなれなかった自分に怒りをぶつける。

エリックは翻訳家を、誰の記憶にも残らない透明人間のような存在だと言う。


たしかに翻訳家は、著者の言葉を伝える媒介者にすぎない。しかし一方で、翻訳によって著者の言葉が翻訳家の言葉に置き換えられてしまう過程も避けられない。

自分の声を伝える人たちに私なら会いたいと言うイングリットの台詞は、創作者は著者であり、翻訳家は媒体でしかないことをよく表している。


エリックが繰り返し口にする言葉が心に残る。


On protège ce qui est à soi.


フォンテーヌ書店の店主ジョルジュの元へ『デダリュス』の原稿を求めてエリックがやって来たとき、「金に魂を売った」と非難し、第三巻の出版権を他社に与えようとする。

翻訳家を家畜のように閉じ込め、作品を金儲けの道具にしたエリックに、ジョルジュは辛辣な言葉を投げつける。

人間と創作に対する敬意を失った、と。


では、文学を三文小説にしたのは著者か、翻訳家か、出版社か、はたまた読者か。

ここからが問題である。


そもそも創作とは誰のものなのか


これこそ本作における最大の問いではないかと思う。

著者にとっては自分の作品であり、翻訳家にとっては自分の仕事であり、出版者にとっては自分の商品であり、読者にとっては自分の書物である。

世の中に作品が出た瞬間から、著者は言葉languageも、着想ideaも、構想plotも、すべて《共有》という環境の中で《完全な》所有権を失うことになる。これは著作権とは別の問題である。

故に人間と創作への敬意を失うことは、同時に作品から著者の魂を奪うことも意味する。


On protège ce qui est à soi.自分の物は自分で守れ


自分の書いた作品が第三者に解釈interpretされ、はては盗用すらされてしまう環境において、どうやって自分の作品を守ればよいのだろうか。

自分の物を守るために、『デダリュス』の著者オスカル・ブラックはどのような行動に出たのか。
結末は映画で。


そして、自分の物を守るために、私もまた一つの結論に達した…




ー 明日へ続く ー



<ロダンの庭で>シリーズ(10)

※この作品が収録されているマガジンはこちら↓





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