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サウナや水風呂、ととのいスポットでおしゃべりするのはマナー違反なのか?についていち初心者サウナーの考え

サウナや水風呂、ととのいスポットでおしゃべりするのはマナー違反なのか?についていち初心者サウナーの考え

サウナや水風呂、ととのいスポットでおしゃべりするのはマナー違反なのか?についていち初心者サウナー/サウナ初心者の考え

サウナは場所によって様々な雰囲気があるし、サウナの感じ、水風呂の感じ、ととのいスポットの感じがある。
ととのうと言うことよりボクはここが大事だし、醍醐味だと思っている。

サウナは場所によって様々な雰囲気があるし、サウナの感じ、水風呂の感じ、ととのいスポットの感じがある。
のと同様に、
それぞれのサウナ(場所)でルールがあり、異なる。

サウナは場所によって様々な雰囲気があるし、サウナの感じ、水風呂の感じ、ととのいスポットの感じがある。
からそれぞれ好みが生まれるし、それぞれの楽しみ方がある。

ととのうことのよさや気持ちよさも実感・体感あるし、この上ないものである。
しかし、ととのい・ととのう至上主義者では全くない。

人それぞれの好みや楽しみがある。
だから、ととのい・ととのう至上主義者はそれはそれで良いと思う。

「お前は、それでいいや」である。

しかし、ととのい・ととのう至上主義者中心に
サウナや水風呂、ととのいスポットでおしゃべりするのはマナー違反であると主張しがちである。
あたかも、自分がルールやマナーを守り、モラルに準じる人間だ!と言うかのようだ。

「ルール」は決まりですから、守るのは当たり前です。
子どもだって「ルール」は守らなければいけません。
一方、「マナー」で大切なのは相手を思いやる心。
「ルール」ばかりを声高に叫んで「マナー」を守れないようでは、
とても大人とは言えないでしょう。

わかりますか?
「マナー」で大切なのは相手を思いやる心。
マナー違反だと主張することは相手を思いやれているのでしょうか?
多くの場合は自分の思想信念主義主張と合わないことを『マナー違反』と形容し、断罪しているに過ぎません。
相手を思いやる行動が出来ていないのはどちらだ?と言う話になります。

このご時世、
サウナや水風呂、ととのいスポットでおしゃべりすることがとてもしづらい。
ととのい・ととのう至上主義者の思うツボです。

でも、お店・そのサウナのルールをつくっているのは誰か?
そう、ととのい・ととのう至上主義者ではなく、
お店、お店のオーナー等です。

ルールで
おしゃべりはこのご時世、ご遠慮ください。
→おしゃべり出来ないもしくは出来ないに等しい。
おしゃべりはこのご時世、控えめにお願いいたします。
→出来ないわけではない、「各人節度をもってお願いいたします。」である。

まぁ、控えめの範疇はどの程度かと言う話は置いておきます。

おしゃべりが気になって、注意することは悪くないが、
注意の仕方に良し悪しはある。おしゃべりの控えめの範疇と同様に

おしゃべりが本当に嫌なのであれば

おしゃべりはこのご時世、ご遠慮ください。
→おしゃべり出来ないもしくは出来ないに等しい。

お店やサウナにいけば良い。
そのそもコロナを気にしているなら不特定多数と接触する場にいなければいい。

リスクを小さくするのは否定しないし、大事であると思う。
しかしリスクはゼロ”ではない”のだ。

リスクをゼロに近づける努力はまず自分が/自分ですれば良い。
それでもあなたは来ますか?って話で、
来たいのであれば場所を選択すれば良い。
場所でルールをつくるのは残念ながらあなたではないのです。

自分で出来ることをちゃんとした上で、
ルールにそぐわない人にはルール違反を指摘するべきです。

おしゃべりはこのご時世、控えめにお願いいたします。
→出来ないわけではない、「各人節度をもってお願いいたします。」である。

お店やサウナであれば、そう言う人たちを避け、ゾーン選択をすれば良い。
それよりサウナの好みのゾーンを選ぶのであれば、あなたは”それを/それは”(条件に応じて)我慢しなければばらない。

ボクはサウナにテレビがない方が好みであるが、
テレビがあるから入らない。にはならない。

ない、さらに好みのサウナであったらラッキー♪と思う、ただそれだけである。

だから、書き込み等で
(このご時世に)おしゃべりしている人たちがいて残念でした。
という、書き込みをみて(ご遠慮くださいやNGでないサウナであった場合)
残念なのは貴方だな。と思ってしまう。
でも、貴方の”同志”(そのお店を選ばなければ)は助かるでしょう。って思う。

一応、ととのい・ととのう至上主義者を否定や断罪しているわけではありません。

何も大声で喋ることを肯定しているわけではなく、
それぞれの楽しみの場で楽しみ方のある場所
である以上に、サウナはコミュニティであると思っている。

だから、町場のいちサウナで
「今日もお会いしましたね。」
「今日はもう来ないのかと思ってましたよ」
「こんにちは/こんばんわ」
のやりとりが喫茶店のように裸の付き合いの場であるから良いと思うのです。
このご時世で会釈だけになってしまっているのが、
寂しいな、淋しいなと思うし、残念だなと思うのです。

サウナはマスターベーション/自己満足の場ではないのです。

究極自分の自己満足のためにサウナに来ているんなら、
マイサウナつくったり、サウナテント立てろよ。
昔よりそうしようと思えば出来るよ。って思うのです。

おしゃべりがダメなんじゃなくて、マスクをしてないのがダメなんだ。と言われそう。笑
「マスク至上主義者/マスクポリス・マスク警察」は
そうしたらもちろん、
「お前は、それでいいや」である。

注意されたから、グチったのではなく。
状況に応じて柔軟に対応できないのは損だなと思ったので書いてみました。

この話はこんなところで

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竹島 一生
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