ショック。
久々に書きます!
短いかもしれませんが、ご了承ください。
SHOCK #01
現在、この記事も書いている、Macbook Proが水没しました。
最初はスピーカーから音が出なかったりなど甚大な不備があったのですが、
今現在は液晶に見づらさ、液晶と画面フィルムの間に水分の侵入が見受けられる。
Macストアの予約は来週月曜日だし、症状が悪化しないことを祈るのと、
修理にするのか、買い換えるのか、、
去年買ったばかりだし、Touch Bar非搭載の最終13インチモデル。
高額出費と悩みの種です。
リュックにいれていたのですが、雨に振られて、初めての雨での水没症状。
いつもと違うリュックで行ったばかりにと土砂降りに振られてしまった。
なるようにしか、ならない。
SHOCK #02
東京都民なのに東京都知事選の投票権がないっていう。
名古屋から東京に帰ってきたのが5月1日なので投票権がないのだ。
ショックなことである。
政治に関心を持っているし、東京都を離れている間も故郷の情勢や小池都政には関心があったし、都民でなくて良かったと思っていた。
帰ってきたのでちゃんと、意志表明をしようと思っていたところが、
出来ないということがわかった。
興味関心のない方が(特に若い年代に)多く、諦めている人も多いであろう。
現職や国政の多くの方々が関心をもたれないことで盤石であることが事実なのだ。
政治屋が向いているのは投票をする高齢者で、政治屋の多くが高齢者。
この国未来のことや将来のことより、自分(達)のことばかりを考えている。
この先、20~30、40,50年生きていく人たちの意見が尊重されづらいのだ。
このまま、39歳以下の私たちが関心を持たないことが正しいのか、
現実に目を向けていかなければならない。
都知事も政治屋も選んでいるのは紛れもない自分たちなのだ。
無関心で投票行動を行わないことは、投票していないから選んでいないという国語的な論理は通用しないのだ。
投票行動を行わないことは、結果に文句を言えず、
当事者にならずして、当事者であるのだ。
であれば、当選する人を推して自分の意見が反映されていると勘違いするのではなく、
自分が推したい人を推すべきである。
自分がちゃんと推し、投票行動を行い、ちゃんと当事者になるべきなのだ。
選挙は当選者が100:0で勝っている振る舞いをしている人が現在多数を占めているように思うし、感じる。実情そうなんだと思う。
それが民主主義だと、されるかもしれない。
でも、中にはあくまでも51:49であると考える、考えている政治家もいる。
ボクらが投票行動を示し、そういう政治家をひとりづつでも送り出していきたいし、当選しなかったにしろ、点で止めず、
当事者になって国を見ていきたい。
困った時だけ国に助けを求めるのは自由だし、実際国が(一応)助けてくれることは表面にうっすらと現れ始めたのは事実だ。
(助けきれている、助かっているかは置いておいて)
興味や関心を持つことからはじめて、投票権を行使しよう
コロナ禍で国政や地方政治に目を向ける機会が生まれた。
多くの人が失望したかもしれない。
政治屋のせいにすることは、自分に還ってくる。
選ばずに政治屋が選ばれたのは自分(たち)のせいなのだ。
むずかしい、よくわかんない。で良いのだ。
でも、無関心ではよくない。
関心を持てば、気にするようになる。ちょっとづつ見えることが増えてくる。
現状に不満がないかもしれない。
不満がないので良いのかは説いて欲しい。
不満がない、現状維持は停滞を意味するのではなく、
後退を意味する。
当事者になり、全てをコントロール出来るわけではないが、
コントロールできることを行使すれば、連鎖的に何かが少しづつ変わったり、動く。と思いたいし信じたい。
無意味だと無関心になることと、
当事者になって失望するのは大きく違う。
失望は良いことではないが、
無関心はなにもうまないし、変わらないし、変えられない。
まずは当事者になろうよ!と私は言いたい。
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