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ハードボイルドおばあちゃん

私のおばあちゃんは昭和3年生まれ。
戦争の始まりと終わりを生きた。
そんなおばあちゃんは田舎の小さな村で昔ながらの家屋に住み、古き良き日本の暮らしをしていた。

おばあちゃんちのお風呂は、となりのトトロに出てくるような、薪で沸かす五右衛門風呂。家の前の畑には四季折々の野菜を育て、春には筍や山菜を採りに山へ行き、夏には山ほどのスイカを収穫し、秋には栗を拾い、冬には白菜や大根のお漬物をつけたりしていた。

そしておばあちゃんはとても物知りだった。竹馬の作り方も、わらじの編み方も、お隣の娘さんが旦那の浮気に激昂し、しばらく実家に戻ってきていることも。おばあちゃんは私達に知っていることは何でも教えてくれた。

子供の頃、私が上級生の子にいじめられておばあちゃん家に泣いて逃げ帰ってきた時、

ば「殴られたんか。」
私「うん。」
ば「何発や。」
私「1発。」
ば「ほな2発ぶん殴ってくるまで帰ってきたらいけん。何でも倍にして返さな!」

…なんでやねん。

私は関西人ではないが、あの時ほど綺麗にキマったなと思う”なんでやねん”はない。半沢直樹よりもはるか昔から倍返しを信条としていたマイグランマ。

そう、私のおばあちゃんは”昭和初期ストロングスタイル・ハードボイルドおばあ”なのだ。早くに旦那をなくし、女手一つで息子(私の父)を育てあげたことも要因の一つだが、それ以上に元々のポテンシャルが高い。その最たる例がある。

ある日私はおばあちゃんちを訪ねた際に、家の大黒柱に刺さった謎の物体を発見した。恐る恐る近づくとそれはめちゃくちゃでっかいムカデの死骸だった。

五寸釘で磔にされていた。

怖い。怖すぎる。
慌てて私は台所でご飯の支度をしていたおばあちゃんに聞いた。

私「あの柱のムカデなに!?」
ば「あれは見せしめ。」
私「見せしめ?」
ば「あのムカデ、昨日ワシの手を噛みやがって!見ぃこの手!こんなに腫れてからに。」

確かにおばあちゃんの左手の甲はパンパンに腫れていた。

私「うわっ!大丈夫?」
ば「もう大丈夫。ワシを噛んだらこうなるぞ!ちゅーて柱に磔にして、他のムカデにも知らしめてやっとるでな!」

…なんでやねん。

ムカデ達もまさか自分の仲間が、遥か上空で柱に磔にされているなんて夢にも思わないだろう。むしろ仲間が仕返しにくるというパターンもなきにしもあらずである。なぜこんなにムカデサイドがビビる方面に自信満々なのだろうか。

しかしおばあちゃんはそんなことは気にもせず、庭に自生しているよもぎをむしりとり、葉をモミモミしたものを患部に当て、さらにまた付け替えるを繰り返し、ノー病院で見事に完治させた。恐るべし昭和初期生まれ。

こんな調子でマイハードボイルドおばあちゃんは、早朝から鳴き声がうるさいと窓外のキジに罵声を浴びせ、育てたさつまいもを齧られたと憤ってはタヌキに向かって小石をぶん投げたりと、野生の動物へ容赦ない威嚇をカマしていた。(いつか動物愛護団体の人たちにシバかれるなアレは。)と私はいつも思っていた。

そんなハードボイルドおばあちゃんにも可愛い趣味があった。庭にお花を育て、愛でることだ。

農協に行った際には新しい花の種がないかチェックし、近所のお友達と珍しい花の苗があれば分けっこしたり、毎年沢山のかわいいお花を庭いっぱいに咲かせそれは見事なものだった。

「おばあちゃんお花大好きじゃ。知っとるか?お花の好きな人は心が優しいんよ。」

おばあちゃんはポプリを作ると言って、庭で摘んだ今期新作のラベンダーを乾燥させるため、丁寧にザルに並べながら自慢げに私に言ってきた。

それ普通自分で言うかな。

ラベンダーをザルに並べるのを手伝いながら、柱にビタ止めにされたムカデを思い出し、「そうかもね。」と私は複雑な気持ちのまま曖昧に相槌をうった。

2人で並べたラベンダーは翌々日、台風で吹き飛ばされ全滅した。

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