お騒がせなコロ
我が家ではかつて犬を飼っていた。
名をコロという。”マルチーズ風”という謎の犬種をお母さんからあてがわれ(前記:なんとなく…コロ参照)15歳でこの世を去ったが、亡くなる当日の朝も、4足自力で散歩に行っていたくらい健康で大往生な犬だった。私はコロが大好きだった。
しかし大好きだからといってきちんとお世話をするのかといえば否。自分たちが懇願して飼い始めたくせに肝心の面倒は見ない。小学生あるあると言えばあるあるだが、最後まで飼うことを反対していたお母さんからしたら大変腹立たしかっただろう。
「コロはもう山に捨ててきました。アンタ達が面倒を見ないので、もっと可愛がってくれるひとに拾ってもらうことにしました。」
ある日小学校から帰ってきた私に、お母さんは神妙な面持ちでそう告げた。
「えっ…!?」
そういえば家にコロがいない。
いつも真っ先に玄関に迎えにきてくれていたのに。
「やだー!うわぁぁぁん!!」
突然訪れた別れに小学生の私はおんおん泣いた。ごめんねコロ。こんなことなら昨日ちゃんとサボらずお散歩に行けばよかった。
その日は友達と遊ぶ気にもなれず、私はコロが帰ってくるかもしれないと思い1人外を探し歩いた。向かいのホーム、路地裏の窓、こんなとこにいるはずもないのに。
私の中のまさよしは最高潮だったが、日も暮れてきたので仕方なく帰ることにした。
玄関にはいつものようにコロがしっぽをフリフリさせながら座っていた。
「コロぉぉぉぉー!!」
思わず私はコロを抱きしめた。
よかった!コロがうちに帰ってきてくれた!
嬉しくて嬉しくて何度もコロに頬ずりした。
なんかいつもよりフワフワでいい匂いがする。
「こら!コロ散髪したばっかりなんじゃけん汚い手で触らんのっ!」
涙と鼻水だらけの顔でコロにへばりつく私を、お母さんはピシャリと叱った。
コロは山中に捨てられるどころか、近所へトリミングに行っていた。そして自分の母親は子供相手に容赦ないドッキリを仕掛けてくるのだと心に刻んだ。
こんな想いをしたにも関わらず、残念ながら私は懲りなかった。
数年後、私はコロの散歩に行ってくると言いながら歩いて1分のおばあちゃんちへ行き、自分はコタツでぬくぬくと忍たま乱太郎を観る間、おばあちゃんにコロを託し、庭先を散歩してもらうという悪童極まりない技を身につけていた。
「アンタらー!コロがー!捕まえてー!」
その日もおばあちゃんにコロを丸投げのまま妹とおやつを食べていたのだが、おばあちゃんの叫び声に慌てて駆け寄った。
土間の台所でおばあちゃんとコロが静かに対峙している。
コロがものすごい出っ歯になっていた。
いや、違う。コロはおばあちゃんの入れ歯を咥えていた。
「コロがワシの入れ歯噛んどる!はよ捕まえて!」
それから3人必死でコロ確保に挑んだが、笑いが勝って追いかける足に力が入らない。散々追いかけ回したあげく、「パキッ。」というコロの強靭な歯力により、入れ歯が真っ二つになる音でこの大捕物は強制終了となった。
おばあちゃんはその日からお出かけの時も歯のないシワシワマウスとなってしまった。
そんなコロが13歳を超えた頃、お母さんのコロ愛も満タンになり、そう遠くないコロの最期について真剣に考えるようになっていた。
そしてお母さんは考えた結果、知り合いの大工さんにコロの棺桶を作ってもらう!という結論に至った。
…なぜ棺桶なのだ母よ。
他になんかもっとこう…あるだろ。
そんな娘の心とは裏腹に発注から数週間後、とても立派な棺桶が届いた。人間のと全く同じで顔を覗く観音開きの小窓までついている。
「やっぱプロの仕事はすごいねぇ。」とみんなで感心し、棺桶の完成度の高さを賞賛した。
でも…これにコロが入るのはまだ想像したくないな。もっともっと長生きしてほしい。
あのドッキリの日と同じく、コロとの別れを考えたことで私のコロへの想いが増した。
ふと人影に気づいて振り向くと、いつの間にかおばあちゃんが我が家に訪ねて来ていた。
そしてコロの棺桶を見下ろしたまま私達に聞いてきた。
「それ、ワシのか?」
すかさずお母さんが否定した。
「あっ…お義母さんにはちょっと…小さいと思います!」
(どっちもまだ棺桶に入らないでほしいな。)
そう思いつつ、私は腕の中に抱いたコロの背中に、顔を押し付けて嫁姑のやり取りに笑いをこらえた。
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