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働かないお父さん

私の大好きな歌手の一人に忌野清志郎さんがいる。彼には数々の名曲がある。
その中でも有名な曲の一つに”パパの歌”という曲がある。サビがとても印象的だ。以下抜粋。

昼間のパパは ちょっとちがう
昼間のパパは 光ってる
昼間のパパは いい汗かいてる
昼間のパパは 男だぜ

この世の働く全てのお父さんを応援するステキな歌詞だ。愛する子供からこんなことを言われたら、働くお父さんたちは皆涙するだろう。

一方、私のお父さんは”全然働かないお父さん”だった。
いちいち言うのも野暮なのだが、ここは笑ってほしいところである。

とにかく彼が働いてるのを見たことがない。いつも彼は家におり、逆にいない事もしょっちゅうだった。(前記事:突如現るお父さん・消えるお父さん参照)

お父さんはガテン系の会社で働いていたのだが、その日の気分によって出欠勤を決めるので、「こんな天気の良い日に仕事に行くのはもったいない!」などと休んだりする。

そうかと思えば、超豪雪の「今日の現場絶対ないだろコレ。」みたいな日に元気よく出社し「君は皆が働く日には来んのに、誰も来ないような日はわざわざ来るんじゃなぁ。」と呆れた社長からどストレートに嫌味を頂戴する。

そこで反省の一つでもすればいいものを「社長にみんなが嫌がる日に率先して来たからやる気があると思われた!」と得意気に帰ってくるという、変な角度にポジティブな奴なのである。

お母さんがせっせと働き、私と妹が勉学に勤しんでいる間、お父さんはお母さんに作ってもらった弁当を、家のこたつでぬくぬくと食べ(結局その日の仕事は中止になった。当然だが。)、子供たちが帰ってくると待ってましたとばかりに「おぅ帰ったんか!遊ぶぞ!」と言って子供たちとすぐ遊ぼうとする。

父親らしく「宿題してから遊びなさい。」などと言われたことは残念ながら一度もない。

そしてその”遊び”だって、”塩ビのパイプにネジを四箇所止める”という謎の遊びだったりする。当時はネジが綺麗にハマった塩ビが沢山できていく様がとても楽しかったが、アレは今思うと完全にお母さんから言い付けられたお父さんの分の内職である。

こんな調子だったので、私にとっての冒頭のパパの歌は、
私のパパはちょっと(他とは)違う
私のパパは(休んでる時は)光ってる
私のパパは(遊んでる時だけ)いい汗かいてる
私のパパは(浮気の数で言えば)男だぜ

ということになるだろう。
こうして字面で見ると最低なパパである。
そして何度も念を押すが、ここも笑うところである。

もう替え歌ついでに記すが、私が小学校4年生くらいの秋のこと。
学校から帰った私は、子供部屋で運動会の替え歌を考えていた。

私の小学校では運動会のプログラムとして応援合戦があり、そこでは流行りのJ-POPの替え歌で生徒が応援歌を作り、赤白それぞれ披露する習わしだった。

私の属する赤組は、SMAPの”がんばりましょう”をA、Bメロ部分を替えて歌おうということで、次回までに考えてくるようにと上級生に言われたのだ。

静かな秋の夕暮れ、一生懸命机に向かう私。傍らにはお父さんがいた。
彼は窓枠に腰掛け、外のトンボに向かってタバコの煙を吹きかけるという暇つぶしの底辺の様な遊びに興じていた。

(今日も仕事行かなかったんだ。またお母さんに怒られるよこの人…。)

そんな娘の心配をよそに、「おい!これどうじゃ!?」とお父さんはいい替え歌ができたと言って飛び跳ねた。
「え?もうできたん!?すごい!教えて!」お父さんが私のために考えてくれたことが嬉しくて前のめりで聞いた。

しまうーまがカメに乗りぃ〜♫
トンビとともにぃ〜♫
ウニを測れぇ〜♫

…。

静寂に包まれた子供部屋に、遠くで鳴くカラスの声が聞こえた。

SMAPでもない、がんばりましょうでもない、応援歌ですらない、全く関係のないTHE BOOM・島唄の替え歌。

「どう?ワシ天才じゃろ?」
お父さんは出来たばかりの謎のアニマルソングを繰り返し口ずさむ。
何もよくない。ちっともよくない。

「お父さん、明日は仕事行きなよ。」

私はせめてもの抗議に痛いところを突いてやった。

お父さんは窓枠に座り直し、
「クサくなったらそりゃ屁ですっ♪」
とシオノギ製薬の痛み止め・セデスの替え歌を歌い始めた。

もうお父さんに期待をするのはやめよう。
幼い私が全てを察した秋の夕暮れだった。

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