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消えるお父さん

「タバコ買いに行ってくるわ。」
と言ったままお父さんは消えた。

小学4年の秋、駄菓子屋で私と友達がたくさんお菓子を買ってもらった日のことだった。

放浪癖のあるお父さんは、私が物心つく前からちょこちょこ消えていた。
けれど数日ないし数ヶ月後にはふらっと帰ってきていた。

だからあの時も「いってらっしゃい!」と元気よく見送った。

しかしあの時のお父さんは違ったようだ。
お父さんがタバコを買いに行ってから4、5年経った頃「さすがに今回は本格的にタバコ買いに行ったんだなぁ。」とお父さんがもう帰ってこないことを中学生の私はふと察した。

それから約20年後、お父さんは私たちの住む所から遠く遠く離れた場所で発見された。

こう表現すると山中で死体となって発見されたみたいな感じになり紛らわしいが、まぁ普通に生きていた。何なら子供とかステキな伴侶とかいて、めちゃ幸せそうな感じで。

けれど消息がつかめたのも束の間、数日後にあっけなく病に倒れこの世を去った。

お父さんの終の伴侶は事実婚という形で未入籍だったようで、病院サイドからのアドバイスや法的なものもあわせて色々鑑みた結果、お父さんの母親であるおばあちゃんが引き取り手ということになった。

おばあちゃんは私達の近所に住んでいて高齢のため、お父さんの終の住処だった場所への遠征は難しく、代わりにお母さんが単身遠くの見知らぬ町まで引き取りに行くことになった。
つくづく厄介な男である。

かつて愛した元夫との20年ぶりの沈黙の再会。
さぞ様々な思いが込み上げ、涙なしには語れないだろうと想像した娘の期待も虚しく、お母さんは至極冷静だった。

「お父さんこれから焼きます。」
「お父さん焼けました。」

お父さんのことかパンのことか分からない紛らわしいメールを私たちに数通よこし、最終日には「飛行機までの時間が暇すぎてもうやだー!」と元夫を悼むであろう離陸までの時間を飽きたと言いはじめる始末。

たかが20年、されど20年である。

こうして私のお父さんは53年という短い人生を好き勝手に生き、全うした。

思い返せばいつもお母さんに怒られていたお父さん。

自分のチョコビスケットを食べられたと幼い娘を本気で怒り、
保育園のお迎えの帰りに娘を連れてパチンコ屋へ行き(時代的にOKだったのよね)熱中し過ぎるあまり、孫と息子が帰ってこないと心配したおばあちゃんに捜索願いを出されそうになり、
お年玉でサリーちゃんのおもちゃのステッキを買おうとしている娘に、自分が欲しいファミコンを買うように誘導しようとしたり。

「大人げない!」
そう言ってお父さんはいつもお母さんに怒られていた。そしてお母さんの言う通りお父さんは本当に大人げなかった。そしていつも娘と並んで怒られていた。

さらに大人になった私にお母さんが教えてくれたことがある。お父さんにはお母さんとの結婚生活11年のあいだに、彼には少なくとも”7人のハニーがいた”ということだった。

ちょこちょこ消えていたのはハニーのところへ行ってたのか。
娘の私がショックをうけるどころか妙に納得してしまうお父さん。今のコンプライアンスでは何一つセーフにならないお父さん。

ありがたいことに私たち姉妹は、お母さんのユーモア(?)のおかげで我が父のことは変ちくりんな面白いヤツということになっている。

お母さんがお父さんの遺骨を手に戻ってきたあの日、私は妹と2人空港まで迎えに行き、そこから三人と一壺でバスに乗り最寄りの大きな駅まで向かった。

車内でお母さんのこの数日間の愚痴を一通り聞いた後は、もう今から食べるお昼ご飯の話になり盛り上がっていた。
入りたてホヤホヤなのに誰からも思い出話をされない、気の毒な壺入りお父さん。

駅に到着し三人でわらわらとおしゃべりしながら下車したその時、
「お客さーん!忘れ物ー!」
バスの運転手さんが私たちに叫ぶ。
慌ててかけ戻る私たち。

自分の骨壷まで忘れられそうになる。

そんな私のお父さん。

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