「楽しい授業」が授業の第一目的ではない
私が考える授業の第一目的は、できなかったことができるようになることです。その過程が楽しいことに越したことはないのかもしれませんが、つらくて大変なことを経験しなければならないときもあるし、むしろそういうときの方が多いでしょう。いくら楽しくても、力がつかない授業は結果的に生徒に飽きられ、授業崩壊につながります。
毎年、4月になると新人の教員が赴任してきます。元気ハツラツ、若々しくて、うらやましいです😊。しかし、いざ授業準備を始めても、一体何をすればいいのかわからず、はじめのうちは自分が困っていることすら気づいていない様子です。そして、刻々と授業初日に近づいてきます。夜遅くまで残って頑張っていますが、それでも何をするか決まりません。
結果として、初めての授業で何をするかというと「自己紹介」と「どんな授業をしてほしいかアンケート」。生徒に合わせようとしている時点で、もう気持ち的に負けが入ってきています。授業に関して、生徒の要求(「楽しい授業」というのが多い)を聞いて授業を組み立てようとすること自体が、もうすでに授業がうまくいかなくなる第一歩なのです。
そもそも、みんなが楽しいと感じる授業などありえません。もしあるとしたら、みんなが同じ感じ方をしているということになります。一人ひとり感じ方や考え方が異なるのが当たり前で、そのことを前提としてしっかり認識しておかないと、生活指導を含めた教育を行っていく上で非常に危険です。
少し話はそれますが、新年度に担任するクラスや授業を受け持つクラスがとても元気よく、授業でも活発に発言したり、仲良さそうにみんなで活動したりして、明るいクラスであることがあります。しかし、そういうクラスがしばらく時間がたってくると闇の部分がほかのクラスよりも大きくなって現れてくることがよくあります。クラスに適合できなくて、無理やり合わせて苦しんでいる生徒がいます。いい意味で「普通でない」クラスと思っていても、「普通でない」ことには必ずネガティブな部分も伴っているのです。みんなが明るく楽しいクラスなどないのです。
そんなこんなで、GW明けには辞めていってしまう人を何人も見てきました。
新人の方の授業相談にのっているとき、「〇〇さんはどんな授業をしたいと思っているんですか?」と聞くことがあります。そのときほぼ必ずと言っていいほど出てくるのが「楽しい授業」という言葉です。もちろん私自身「楽しい授業」を否定はしません。しかし、「先生が言う楽しい授業っていうのは力の付く授業なんですかね?」と心の中で思うわけです。実際に、それを言ったこともありますが、その時の表情は「は?」と、何かわけのわからないことを聞かれたような表情をしています。
誤解している人が結構いるのは、授業が楽しければ生徒たちが活発に活動し、自主的に勉強するようになり、最終的にはその勉強している教科の力がつく、と考えていることです。そのような仮定に基づいて組み立てられた教育的試みはことごとく失敗しています。
個人的な話では、以前家族で「こども科学博物館」というところに行ったことがありました。そこでは、科学的に原理を用いて子供が遊べる遊具やオブジェなどがたくさんあり、子供たちは楽しそうに遊んでいました。それらの遊具やオブジェの脇には、どうしてこのような面白い現象が起きるのかについての科学的な解説がそれぞれに提示されていました。で、だれかその解説を読んでいるのかといえば、誰もいないわけです。
教員の仕事の中で一番大事な仕事は授業です。授業はどんな他の仕事にも優先します。校長に怒られている時や保護者と話している時でさえ、「すいません、授業の時間なので」と言えば、その場を離れることができます。そして授業の目的とは何かというと、それは「生徒の学力を保証すること」です。「楽しい授業」というのは「生徒の学力を保証すること」の手段の一つになりえるかもしれない要素にすぎません。
「楽しい」とは、活発でみんなが笑顔でいられる状態のほかにも感じることができます。それは、できなかったことができるようになった喜びから感じられるものです。成長や達成感から生まれる喜びという「楽しさ」、まずはそれを目指すべきです。
◎ まとめ
1.「楽しい授業」が授業の目的ではない。
2.「楽しい授業」が学力の向上にはつながらない。
3.みんなが「楽しい授業」などありえないし、危険ですらある。
4.教員の一番大切な仕事は授業である。
5.授業の目的は、できなかったことが「できる」ようになることである。
6.「できる」ようになった喜びを本当の「楽しさ」という。