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言葉は未来をつくる。夢を叶える。愛を育む。
私は、この自伝めいた話を書き進めながら、
自分の「根」と「葉」にさまざまな影響を及ぼした言霊の正体を探っていこうと思う。
敬愛する作家、山田詠美氏の自伝小説。
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貪るように読書した文学少女時代、
漫画家を目指して挫折して
夜遊びに夢中になっていた時代、
作家デビューして誹謗中傷に嘆いた時代、
数々の文学賞の授賞、結婚と離婚。
幼少期から思春期時代、デビューしてから
作家生活まで
詠美氏を彩るエピソードの数々。
詠美氏が今のネットみたいに叩かれまくっていたのはなんとなく想像がつく。
だってカッコ良すぎるから。
デビュー作であんな世界観見せつけられたら
誰だって嫉妬してしまう。
誰もああいった経験をしたことがなく、
自分の日常に一ミリも縁がないからこそ
悔しくて羨ましかったのではないだろうか。
人の人生ってすごく面白い。
特になぜ書こうと思ったのか、
好きな作家の人生の背景を知ることができるのはとても興味深い。
影響を受けた作家や作品を知ると、
あの本がこの作品を生み出したのかと
感慨深くなる。
私も大好きで何度か読み返している
デビュー作のベッドタイムアイズの最初の1行。
スプーンは私をかわいがるのがとてもうまい。
ただし、それは私の体を、であって、
心では決して、ない。
この1行を書くのに何年もかかったのだとか。
彼女は最初の1行を納得するまで小説を書いてはいけないという試練を自身に課し、
この1行が書けた時、
ようやく最後まで書くことができた。
そしてこれが初めて書いた小説、それが文藝賞を受賞した。
最終選考に残っているのは知っていた。
でも、受賞しなかったら次の小説を書けばいいのだ、と気持ちは安定していた。
小説家になって、皆に認めさせてやる、という最初の不遜な気持ちは、初めて小説を最後まで書き通した時に、見事に消えていた。
私は、小説を書く真剣さに、よこしまな感情が似合わないと知ったのだった。
野望は、小説そのものに向かうべきであり、
それに付随する雑多なこと、
たとえば、賞賛とか名声とか名誉などを欲しがっては、書く言葉が濁ると本気で思った。
初めて書いた小説が賞を取り、それが
デビュー作になると書き続けることが非常に難しいという。
だけど山田詠美は書き続けられることができた。
小説家になりたい、という人は数多くいれども
全く芽が出ない小説を何十年も書き続けられる人はそういない。
書く人全てが、賞を取って注目されてデビューし
てお金が欲しいと思っているだろう。
それは悪いことじゃないし、
もし誰にも読まれなくても書き続けられて、
書くことが好きでやめられないという人がいたらそれこそ本物の大変態だろう。
小説家を目指すのはいいけれど、
やはり書き続けられること、その意欲がある人が書く人にとって何よりも重要だ。
私だって書くことをお金にしたい。
だけど現実そうはなっていないわけで、
でもこうして夢を見ている。
私がお金にならなくても書き続けられるのはやっぱり読んでくれてる人が少しでも
いると実感できるからだ。
私はただ売れるものを書くことは出来ない。
こういう方向性が今は求められているのだろうと
いうことが分かっても、それだけでは決して書くことはできない。
目の前の仕事に誠実に対峙すれば、
道は開けて、次に進める。
デビューして数年経て、ようやく私には、
このことが解ったのである。
今はなんでもすぐにお金に変えられる時代だからこそ、お金にもならない文章を書き続けられるのはやっぱりそれは書くことで
どうしても伝えたい思いがあるからだ。
文章だけは動画とかと違ってなんとなくトレンドっぽく作り込むことはできない。
本当に言葉にはその人の生き様が滲み出てくる。
だからどんなにもう本が売れない時代だとされても、動画の時代になったと言われても、
私は本を読み、言葉を綴る。
小説とは、平凡な舞台と道具立てを使って、
その小説家だけの特別な場所を作るものだ。
私は、ずっと自分のために小説を書いて来た。
そして、
これからも傍若無人に書き続けるだろう。
と、同時に、この時、私は、心に決めたのだ。
私は「あなたのためにある私という小説家」
でありたい、と。