クリスマスにいちばん気になったこと
クリスマスの今日、
私がいちばん気になったのはキリストについてだ。
私はキリスト教でもないし、他の信仰もない。
別にクリスマスを特別視してるわけでもないから絶対何かしないと!とか、予定がなくて焦るとかもない。
かといって、キリストの誕生日なのに
商業主義に染まりやがって!という主張もなく
街がキレイになって嬉しいし、年末のイベントのひとつとして普通に楽しめる心を持っている。
街では、キリストの成り立ちの説法みたいな
話が流されていて、
キリストは神であり、人間は神の前では罪な存在であり、キリストはその罪を背負って死んだのだと。
そういえば、キリスト教ではセックスは罪と言われていることを思い出し、
なぜそう言われているのか
そのことがとても気になった。
仏教でも煩悩というくらい、
あらゆる欲望は罪みたいな、
欲望は罪と言われているのはなぜなのだろうと。
クリスマスに、
キリスト教が考えるセックス観について
とても知りたくなったらこんな本を見つけた。
セックスと宗教には、切っても切れない関係があります。本書は、それをテーマとして、世界のあらゆる宗教を考察しています。そこにはもちろん、日本で独自の発展を遂げた仏教や神道もふくまれています。
人の懊悩は煎じ詰めれば愛と死のふたつに集約されるといいますが、そのいずれにもセックスは深く関係しています。セックスをすることは愛の終着点のひとつであり、同時に子をなすこと=みずからの死にもかかわっています。挑戦的なタイトルからいささかゴシップ的興味を抱いてしまう読者も多いと思われますが(かくいう自分もそうでした)、すべての宗教を概観するにあたってこれほど適当なテーマもありません。世界のさまざまな宗教を紹介する書物はいくつもありますが、この視点から眺めることで、あらゆる宗教を同じ地平から見渡すことができるのです。
どうやらキリスト教だけではなくて
他の宗教も性と密接な関わりがあるよう。
これは性を発信するという命題を持っている私としてはかなり興味をそそられる本で早速購入してみた。
性はなぜ罪なのか。
私がずっと抱えてきた疑問。
快楽だからか、それを追求すると堕落するからなのか?でも、私は風俗で働いて、仕事として
性に向き合ってきた。
性を追求すればするほど人間の身体の仕組みや
繊細な変化や反応に気を配らなければならないし、
堕落とは無縁の人間の肉体に徹底的に向き合う大仕事だった。
でもだからこそのめり込んだら危険なのかもしれない。
麻薬は人間の意識を覚醒させ、快感や快楽を感じる脳を麻痺させる。
ほんとのほんとに性を追求しようとした者には
性のその危うさに逃れられない人間の性みたいなものを感じたのかもしれない。
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