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死ぬ日が分かっていることは死よりも怖いこと。

私は余命〇〇日とかいう題材の映画や小説が好きではない。

お涙頂戴のいかにもな感じで
大抵、恋人の男とふたりの世界に没頭して
最後は女が死んで永遠の愛がどうたらこうたら言って感動を狙い、泣かしにくる。
  

私はそういうのは見たくない。

余命僅かの人間の闘病記なんて 
如何にも泣かせようとしてくるし、
何よりそんな暗く辛い話は読みたくない。 

だけど、これだけは読みたい!
読まなければと初めて思ったのが本書。

好きな作家、山本文緒さんの闘病日記。

ずっと読みたかったのになぜか縁がなく、
文庫化したタイミングでようやく手にとれた!


2021年10月13日に逝去された
山本文緒さん。

生前、近しい人にしか病を打ち明けていなく、
解説を書いている親しかった角田光代さんも
知らなかったのだそう。

それもそうだと思う。

2021年4月に初めて膵臓ガンが発覚し、
その際にあと余命4ヶ月ほどと言われたら
本人でさえも受け入れられなくて当然だ。

でも彼女はそれからの毎日を淡々と書き続けてきた。

体調が良い日もあり悪い日もあり
全然食べたくない日も美味しく食べられた日も。

本を全く読めない、文章を書けない、パソコンに向かいたくない日もあれば
面白い本を読んだり、最後に出す本の仕事をしたり。

痛くて苦しくてどうしようもなくなったり
動けなかったり、座れなくて寝てるしか出来なかったり。

元気になってお出かけして買い物に行って
カフェでお茶したり。


会いに来た人や、訪問診療のスタッフたちと
楽しく話したり、時には涙ぐんでしまったり。


確かに闘病ってこんな感じだよな。

特に何かが変わるわけでもなく、
ただ良いときと悪いときがある、
今まで生きてきた日常の延長戦上だ。


ただひとつだけ違うのは、本人がもうこれは
終わりかも、もう出来ないかも、もう行けないかも、もう会えないかもと最後にする覚悟を持っているかどうか、ということ。


怖い思いをして、突然死ぬことは凄く恐ろしいけど、やっぱり死ぬことが分かっていることの方が
何倍も辛くて、悲しいのだと実感した。


私なんて知り合いでもない、ただ好きになってちょっとしか経ってないただのファンなのに
胸が締め付けられたり

文緒さんの家族や周りの方々のことを思い、
これ辛いだろうなと涙ぐんだりしたが


やっぱり誰よりも本人がいちばん辛いのだということが痛いほど伝わってきた。


日常生活では、〇月〇日に何があります、という未来の予定は日々当たり前のように流れてくる。

その日付けを目にする度に、ああ、私はもう生きてないや。これは見られないや、ここには行けないやと感じる小さな絶望や諦めの数々。

好きな作家や楽しみにしている作品の続きが永遠に見られない悲しみ。

既に自分はこの世にもう必要でなくなるという
深い絶望と悲しみ。


大切な人が辛い姿、悲しむ姿を
何度も目にする苦しみと悲しみ。


人はどう死ぬのがいちばんいいのか。
いきなり自分でも自覚する暇がないくらい、
一瞬のうちに消え去る、そんな死に方がいい。


だけど、やっぱりこうして
いきなり余命宣告を受けて、
それが急なことでもあと4ヶ月だって知って
どうしようもなくても、

それでも毎日を懸命に生きて、出来ることをして、その日々をこうして書いてくださって。


私たちファンも急なお別れで驚き悲しんだ
その気持ちを少しでも文緒さんに寄せられる、
こんなにもまっすぐな本を世に出してくださった。

山本文緒さんの作品は、読んでいると不思議なくらいその物語の世界に、主人公に入り込んでしまう自分がいる。

共感できなくても、こんな女嫌だしと思っていても、私は不思議とその主人公と同化している。

まだまだ読んでいない作品は幸いなことにたくさんあるし、いつでも山本文緒作品に触れられる幸せがまだ残されているという事実は、私を楽しませてくれる。

改めて。
山本文緒さんのご冥福をお祈り致します。



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