「荒々しくて率直で未完成」なエヴァ考察
今日ほんとは友達と大学のジムで一緒に筋トレする予定だったんだけど、その子が急遽来れなくなっちゃって1日暇になったから、満を持してエヴァの新劇場版を一から一気見した。そしてさすがに新の中盤あたりで見るの疲れたからちょっと休憩して、今これ書いている。その前に、アニメ版を全部見て、漫画も一通り読んだ。あと、その後にちゃんと旧劇場版'The End of Evangelion'も観た。ただ、'Evangelion Death (True)^2'はアニメ版全話のダイジェスト的な感じでほとんどしっかりは観てない。
個人的な解釈では、
漫画版=アニメ版+旧劇場版'The End of Evangelion'
っていう感じで漫画とアニメーションとで話の内容は大体整合性が取れていてまぁ納得。話全体を通して伝わってくるメッセージも比較的わかりやすくて人生21年と8ヶ月にしてようやくエヴァの面白さを理解できた気がする。ただ、新劇場版の解釈がかなりむずい。これまでにはない新しい要素が多くあって、それらのストーリー上での相関関係を整理するのがけっこう大変だなって思った。でもまぁ話がシンジくんを幸せにするためのループ(カヲルくんが唯一記憶を維持して生まれ変わり、新たな世界でシンジくんを幸せにする役割を全うする)のお話なんだろうってのはわかった気になってる笑。アニメ版や旧劇場版とは別の世界線だから公衆電話の色や海の色、ダミープラグを初号機が受け付けない時に初めからやり直すコード(108->308)とかが違うんだろうな。
新劇場版はまだ消化し切れてないけど、それ以外のエヴァの作品から伝えられてるメッセージはすごい哲学的で面白い逆説を考えさせられたからここでシェア。
1、不自由が自由を生み出す
2、そのひと個人のアイデンティティーは単独で自己形成できるものではなくて、周囲の時間、空間、他人、その他の外的諸要件によって少しずつ具体的に定義づけられるもの
3、この世界は自分の捉え方次第で見え方が大きく変わるもの
1、ヒトそれぞれのこころがそれぞれ別の肉体に宿ることでおきるこころの壁の衝突、そしてここから生まれる苦悩、悲しみ、争い、痛み。人類補完計画の目指すところは、これらをサードインパクトによって肉体も魂も隔たりのないひとまとまりになることでこの世のすべての苦しみから解放された完全体としての存在への昇華である。で、実際にシンジはサードインパクトを起こして一旦その他人との区別がないすべてがひとつになった世界にたどり着くけど、そんな世界に疑問を感じる。そのあとにシンジに焦点を当てたこころの隙間の補完の話が出てくるんだけど、そこで「自由」について深く考えさせられたし、おかげでそれについての一応の答えが自分の中で生まれた。
それが「不自由が自由を生む」である。何にもない空間の中で体一つがふわふわ浮いていたら、そこには悲しみや苦悩や痛みはないけど、また喜びや感動、しあわせといったものも存在しない、無の世界。直感的によく自分は何にも縛られていないのが自由だって考えがちだけど、自分にまとわりつくものが何もない無の世界は自由ではない。そこでは自分の個別的な自由意志で何かをするってことができないから。自分の意志にそって自分で考えて自分の体を自分で操って何かしらの行動をするのが自由であって、それは無の空間ではなしえない。これはアニメで説明されていたことなんだけど、その無の空間に地面という概念が追加されれば、もうその人は基本的には二次元的な空間移動しかできなくなって、ある意味では地面に縛られる不自由が課される。でもそれによって無の空間では無目的にふわふわ浮いていて自分ではどうすることもできなかったのが、地面が生まれることで自分の意思で「自由に」歩くことができるようになる。この要領で、ある空間と時間の中でそのヒトを縛る外的な不自由さが増えれば増えるほど、その枠組みの中で個人が自分の意思によって行動できる範囲が指数関数的に(この表現は直感的、統計的にそうなるとか計算したわけでは全くないのでお手柔らかに笑)増えていくのでは。そこから「不自由が自由を生む」っていう逆説がでてきた。あと、もう一つの例を、今自分たちが生きてる世界の身近なもので言うと「自動車と信号と道路交通法」なのかな。自動車はそれ単体でみんなが「自由に」使おうとすると交差点ではカオスになって目的地までどうこうの話じゃなくなってくるし、運転手が泥酔していれば事故は起こるし、その時にシートベルトをつけていなければ多くの人が亡くなることになる。つまり、自動車は、みんながめんどくさくてどことなく不自由さを感じるその信号や法律によって、目的地まで右折したいところで右折できるし、休憩したい時に車を駐車場に駐車できる自由が生まれる。あと、死角からものすごい速いスピードで追突される心配がほとんどない安心感も享受できてる。
すごいあたりまえのことだけど、これを頭で咀嚼して感覚値としてじゃなくて言葉を通じてアウトプットできる段階までいくと、もう少しだけ今生きてる自分たちの世界をやさしく見られるんじゃないかな。少なくとも、煽り運転とかはなくなると思うんだよね。
2、これ1つ目と関わってくるんだけど、全ての生物がLCLと化した世界も、また自分がひとりだけしかなくて他に何もない無の世界も、そこには自分が何であるかの自己の存在を定義づけるものがない。
ここでアニメの最終話がすごいきれいに説明してくれてる。
リツコ「ここにはあなたしかいないからよ、自分以外の存在がないとあなたは自分の形がわからないからよ」
ミサト「そう、他の人の形を見ることで自分の形を知っている」
アスカ「他の人との壁を見ることで自分の形をイメージしている」
レイ「あなたは他の人がいないと自分が見えないの」
シンジ「そう僕は僕だ、ただ他の人たちが僕の心を作っているのも確かなんだ!」
ほんとそうだよなぁ。よく「他人と比較しちゃダメ、自分は自分」とかいう自己啓発がネットには溢れていて、そういうのめっちゃスクショしては見返して自分を立て直してる拙者だが、ひとってみんな自分の存在を他人との相対的な位置で形作くっているんだよね。でもだからって他人と比べてできないところを見つけては落ち込む必要は全然ないと思ってて、ひとってそもそもそうやって自己の存在の解像度を少しずつ上げていく生き物なんだから比べることにあまり執着せず、その比較から生まれる違いをもっと肩の力抜いて、いい意味でテキトーに「あぁ、そうなん、そりゃ難儀やなぁ」くらいのテンションでスルーして、自分が好きなこと、大切にしたいことを揺るがさないことが大事なのでは?
たぶんこれをできずに全てを真に受けてしまって自己嫌悪に陥ったのがシンジなんだと思う。他人との違いに敏感になりすぎて、全てを真正面から向き合うと自分の存在の小ささに気づいて、他の誰かにとって簡単に変われる、この世界にいてもいなくても変わらない存在だと思い込んでしまう。大抵の人は自分も含めてここで行き止まりなんだけど、シンジの場合は彼自身が初号機に乗れる唯一の替わりが効かないパイロットっていう特殊な状況にあるから余計に、必要とされているパイロットとしてのシンジの存在意義の大きさとそれ以外の要素における自身のアイデンティティの希薄さとのギャップが大きすぎて、生きていることそのものが苦しかったんだと思う。エヴァを乗ることに具体的かつ個人的理由も見つけられなかったしね。
3、これはこの3つの中で一番当たり前に聞こえる分、ほとんどの人が生きていくのに忙殺される中、忘れてしまっているものだと思う。そしてだからこそ常に意識できていたらパワフルな力を発揮するメッセージじゃないかな。
シンジ「そうだ、それも一つの世界。僕の中の可能性。今の僕が僕そのものではない。いろんな僕自身がありうるんだ。そうだエヴァのパイロットではない僕もありうるんだ」
メガネ「現実を悪く嫌だと捉えているのは君の心だ」
イケボ「現実を真実と置き換えている君の心さ」
リツコ弟子「現実を見る角度、置き換える場所これらが少し違うだけで心の中は大きく変わるわ」
リョウ「真実は人の数だけ存在する」
落ち込んでる時、つらいことがあった時や大変で面倒なことが立て続けに起こって終わりが見えない時とかは、あらゆることを悲観的に観て身の回りの全てのことにやる気を失いがちだけど、それって見方少し変えると実は今すごい恵まれてる環境に奇跡的に身を置けていたり、チャンスを掴んで試練に挑戦して「別の形の自分」を切り拓いてる途中かもしれない。こんな感じで一歩引いて自分のことをどんな「不自由」が縛り付けていて、そこからどんな「自由」を得ているのかをちょいと違った視点でひょっこり見るだけで、はじめの一歩の勇気またはあともう一歩の意地が湧いてくるんじゃなかろーか。
3つ目は大学4年になって、卒論は始まるし、留学の準備はしなきゃで、やらなきゃいけないことが盛りだくさんでいややなぁっておもってた自分に向けて書いたようなもので、自分で書いておきながらまだまだ「悲観的にならず、ちょっと視点を変えて苦境も楽しんじゃお、みたいな価値観を揺らがずに芯に据えて1日1日を全力で生きる」みたいなことぜんぜんできてないからこういうこと我が物顔でつらつらと文章にする資格なんてあるんかびみょーだけど、このエヴァから学んだことを言葉の形にする過程を通じて、かなり身に染みたかな。だから、ちょっとは成長できたかも。
みんなさ、大学のレポートとか前に書いたやつ読み返してわしこんなこと書いてたん?!みたいなことよくない?笑
それと一緒で、どんなにその時一生懸命考えて言葉で表現しても、時がそれらを少しずつ侵食していってしまうから、絶対にこの先また「うわー、人生大変だなー、なんで俺はいつもこう恵まれてないんだ、周りの友達は、、、」みたいなこと思う時が来るんだろうけど、そんな時のためにこの投稿を定期的に見返そうかなおもいますぅ。
特定のnoteの記事ってネットでシェアしたりできるのかわからんけど、エヴァをめぐる考察とか感想とか思ったこととか議論できるとたのしいので、Twitterとかでこの記事と一緒にそういう空間できるといいな。そのときは#エヴァ#エヴァンゲリオン考察#エヴァ哲学あたりでお願いしやす。
そしてこの記事のタイトルに聞き覚えを感じたそこのあなたは絶対ジブリファン笑。「耳をすませば」の地球屋のおじさんが雫の書いた小説を読んだ後にいったセリフから持ってきました。自分の記事もそうだけど、初めのうちは誰でも間違いは犯すし、失敗ばかりで、それらを指摘し批判するのは簡単なことだけど、それをせずそのぼろぼろさをやさしく受け止めて、そっと背中を押してくれる。そんな地球屋のおじさんの言葉は、中学生の頃に初めて聞いたときに感動か衝撃か(多分その両方で)胸がいっぱいになったのを覚えてる。
「荒々しくて率直で未完成で、聖司のバイオリンのようだ。雫さんの切り出したばかりの原石をしっかり観せてもらいました。よくがんばりましたね。あなたは素敵です。慌てることはない、時間をかけてしっかり磨いてください」
そして雫のその涙の意味を知っているからこそのやさしい微笑みと気遣い。
また書きたいことがひとつできてしまった、しあわせだ、、
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