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遅くて、退屈で、つまらない場所

SNSには書かない(書けない)ことを中心にnoteを月に4本更新します。中身は藝大院の話、プロジェクトの過程、アイデアの種、苦しんでいる葛藤の様子などを書き散らかしてます。
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#RuiYamaguchi

展覧会の誘いを断ってでもAIツールを学習方が長期的には良い気がしている

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コレクションという戦略と戦術

久しぶりに作品をコレクションした。 塩見允枝子さんの《Spatial Poem No. 2》(1966)と、Francis Alÿsの《The Loop》(1997)である。 どちらも、直接的に自分の作品の参照元となった作品である。《Spatial Poem No. 2》は《Swept along, but not swept away》(2024)に。 《The Loop》は《スマホ1台旅》(2017)に。 何を参照しているのかについては、修了作品解説論文の第4章で

人生そんな簡単にうまいこといかないけど、静かに燃えてきた

東京藝大の修了展が終わり、助成を受けていた「文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業」の成果発表イベントがはじまった。 (展覧会は終わってないけど)フランスから帰ってきて半年間、制作と展覧会ラッシュだったのがようやく落ち着きつつある。 遊んでいたりしても常に頭の中にタスクがある状態だったけど、空っぽの状態で酒を飲んでバカ笑いできる喜びと、本を読み、文章を書ける幸せを噛み締めております...。 というわけで、本当に、本当に!この半年間走り続ける中で感じることが多々あった

逆算して設計したが、想像を超えて

前回の続きから。

「藝大の卒展とは何か」から問いはじめる

東京藝術大学の卒展・修了展終わりました。一瞬だった。みんなで頑張ってインストールし、気づいたらはじまって、気づいたら終わった。それくらいがむしゃらだった。 さすがは藝大ブランド、「卒展は5日間で2万人が来る」と聞いていたが、1月31日(金)だけで1万人が来たらしいので、動員はそれ以上だったと予想する。キャンパス内は人で溢れかえっていて、展覧会というよりは「お祭り」のようで楽しかった。なのでこれは藝大生に与えられた1度のボーナスタイムのようなもので、当たり前に思っては絶対にい

計3年通った東京藝術大学大学院を修了します

タイトルの通り。計3年通った東京藝術大学大学院先端芸術表現科を修了します。 早かった。一昨日くらいに入学したと思ったらもう終わりですからね。入学当初からのことも漏れなくこのマガジンに綴ってきました。 20代までやってきたことをひっくり返すように30歳から、全く未知である美術の大学院に入り直したわけですが、それはそれは新鮮で刺激的でした。と言っても、これまでのキャリアも全く無駄ではなく、むしろ自分の武器なのではないかと自信を持つことができた3年間でした。良い環境に恵まれたと

修了作品解説論文「流されずに流されていく」 5章 おわりに:「流されずに流されていく」ということ

本記事は修了作品解説文の5章です。4章はこちら。 ここまで、自身の生い立ちや原体験、美術作家として活動をはじめる前の仕事を紹介しながら、どのような経緯と必然性を持って現在の表現手法に行き着いたのか。また、「歩行」という行為がどのような意味を持ち、この社会と自身の生き方に作用するのか、先行作品や事例を参照しながらこれまでの実践を紹介してきた。 つまるところ「流されずに流されていく」とは、どのような状態や態度を意味するのだろうか。 それは、ヴァルター・ベンヤミンの語る「自分

修了作品解説論文「流されずに流されていく」 4章 修了作品を構成する4つの作品と先行事例との接続

本記事は修了作品解説文の4章です。3章はこちら。 これまで論じてきた幼少期の原体験から時代背景、デジタルメディアにおける言語表現の限界性、そして歩行という実践の可能性は、修了作品「流されずに流されていく」として結実する。本作品は4つの独立した作品によって構成されているが、それらは全て「歩行」を中心に据えて展開されている。本章では、各作品の詳細な分析を行いながら、シチュアシオニストの実践や現代アーティストの先行作品との接続を試み、修了作品の同時代性と表現の必然性について論じて

2024年の振り返りについて

毎年ブログで1年の振り返りブログを書いていて、その時間が結構好きだったりする。しかし、今年はゆっくり書く時間がなさそうなので写真もなしに雑に振り返りたいと思う。 昨年12月はCAF賞のファイナリストに入り、パリから日本に一時帰国したものの負けて(入選止まり)、楽し悔しかったのだけれど、これはパリで修行して来いというメッセージと捉え年末にパリに戻る。 友人たちと年越しをして、初日の出を待っていた時に、能登の震災が起き、遠い国から地元にいる家族や友人たちの心配をしていた。20

最終候補者リスト

今月提出した修了作品の作品解説文(32,000文字)を公開しているところだが一旦ブレイク。気づけばあっという間に年末なので諸々の近況を綴りたいと思う。作品解説文は現在第三章まで公開していていて、自分で言うのもなんだが相当気合い入れて書いたし面白いと感じているのでぜひ読んでみて欲しい。 ちょうど1週間前に、藝大取手校地にて最終審査会が行われた。審査なのでいつものように講評はなかったが、おそらく先端芸術表現科の教授たち10名と顔を合わせる最後の日になったと思う。1年半ぶりに訪問

修了作品解説論文「流されずに流されていく」 3章 表現の転換点:デジタル空間から歩行/美術

本記事は修了作品解説文の3章です。2章はこちら。 前章では、「プロ無職」という独自の肩書きを選択するまでの過程を、1990年代の新自由主義的な時代背景とともに論じてきた。本章では、その「プロ無職」としての活動、すなわちデジタルメディアを用いた情報発信を通じて直面した課題と限界について検討する。特に、表現の言語化・数値化や、アテンションエコノミーにおけるコンテンツの消費という問題は、新たな表現の可能性を模索する契機となった。この章では、デジタル空間から距離を置き、美術表現、と

修了作品解説論文「流されずに流されていく」 2章 美術制作以前:新自由主義の時代における『プロ無職』という肩書きの選択

本記事は修了作品解説文の2章です。1章はこちら。 本章では、私が美術制作を始める以前の活動と、その時代背景について論じる。2015年から2020年頃にかけて、私は「プロ無職」という肩書きを名乗り、世界各地を移動しながら働く人々を取材し、オウンドメディアやYouTubeで情報発信を行ってきた。この活動は、表現メディアこそ異なるものの、現在の制作活動の根幹となる思考を形成している。本章では、私の生い立ちや時代背景を辿りながら、なぜ「プロ無職」という特異な肩書きを名乗るに至ったの

今年最も気合いを入れた公募について

静岡県の富士市に2年ぶりに訪問し、《ホットサンドメーカーズクラブ》ワークショップを開催した。 短い時間ではあったが、ホットサンドを食べながら色んな人からルーツにまつわる話を聞けたり、最終的に輪になって話す時間があったりして、濃い時間を過ごせた。映像記録しているので、振り返りながらどのような方向性で今後制作を進めていくか考えたいと思う。 《ホットサンドメーカーズクラブ》は2月にメディア芸術クリエイター育成支援事業の成果発表イベントにて展示予定! 今は一旦修論の執筆と、修了

地震はシンプルに萎える

昨夜、22時47分ごろに地震が来た。 この日はなんだか気分が優れず、こういう時は大体サウナに行けば一発なのだが、大雨強風もあって外に出ることができなかった。というわけで今宵はもう何もしないことに決めていた。自宅の風呂で済ませ、前から気になっていた映画を観はじめるが、とてもイライラする内容だった。むしろ気分が悪化するなか映画を観続けていたら、緊急アラームと同時に地震がやってきた。 思えば、フランスから帰ってきて以降初の地震だった。2023年の5月にあった能登の地震ぶりだろう