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遅くて、退屈で、つまらない場所

SNSには書かない(書けない)ことを中心にnoteを月に4本更新します。中身は藝大院の話、プロジェクトの過程、アイデアの種、苦しんでいる葛藤の様子などを書き散らかしてます。
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#修士論文

修了作品解説論文「流されずに流されていく」 5章 おわりに:「流されずに流されていく」ということ

本記事は修了作品解説文の5章です。4章はこちら。 ここまで、自身の生い立ちや原体験、美術作家として活動をはじめる前の仕事を紹介しながら、どのような経緯と必然性を持って現在の表現手法に行き着いたのか。また、「歩行」という行為がどのような意味を持ち、この社会と自身の生き方に作用するのか、先行作品や事例を参照しながらこれまでの実践を紹介してきた。 つまるところ「流されずに流されていく」とは、どのような状態や態度を意味するのだろうか。 それは、ヴァルター・ベンヤミンの語る「自分

修了作品解説論文「流されずに流されていく」 4章 修了作品を構成する4つの作品と先行事例との接続

本記事は修了作品解説文の4章です。3章はこちら。 これまで論じてきた幼少期の原体験から時代背景、デジタルメディアにおける言語表現の限界性、そして歩行という実践の可能性は、修了作品「流されずに流されていく」として結実する。本作品は4つの独立した作品によって構成されているが、それらは全て「歩行」を中心に据えて展開されている。本章では、各作品の詳細な分析を行いながら、シチュアシオニストの実践や現代アーティストの先行作品との接続を試み、修了作品の同時代性と表現の必然性について論じて

修了作品解説論文「流されずに流されていく」 3章 表現の転換点:デジタル空間から歩行/美術

本記事は修了作品解説文の3章です。2章はこちら。 前章では、「プロ無職」という独自の肩書きを選択するまでの過程を、1990年代の新自由主義的な時代背景とともに論じてきた。本章では、その「プロ無職」としての活動、すなわちデジタルメディアを用いた情報発信を通じて直面した課題と限界について検討する。特に、表現の言語化・数値化や、アテンションエコノミーにおけるコンテンツの消費という問題は、新たな表現の可能性を模索する契機となった。この章では、デジタル空間から距離を置き、美術表現、と

修了作品解説論文「流されずに流されていく」 2章 美術制作以前:新自由主義の時代における『プロ無職』という肩書きの選択

本記事は修了作品解説文の2章です。1章はこちら。 本章では、私が美術制作を始める以前の活動と、その時代背景について論じる。2015年から2020年頃にかけて、私は「プロ無職」という肩書きを名乗り、世界各地を移動しながら働く人々を取材し、オウンドメディアやYouTubeで情報発信を行ってきた。この活動は、表現メディアこそ異なるものの、現在の制作活動の根幹となる思考を形成している。本章では、私の生い立ちや時代背景を辿りながら、なぜ「プロ無職」という特異な肩書きを名乗るに至ったの

修了作品解説文「流されずに流されていく」1章 はじめに

東京藝大修士課程の最終審査を控え、修了要件のひとつである「修了作品解説文」を執筆した。 修了作品は先月のコートヤードHIROOで開催した個展「流されずに流されていく」と同名の映像インスタレーション作品。 この作品と研究内容について解説するには、自分が美術をはじめる前の「プロ無職」としてネット上でバリバリ発信活動してたときや、さらには、なぜ「プロ無職」を名乗るに至ったのか幼少期の原体験や時代背景を論じる必要があると考えた。 そしたら、最低文字数の倍以上の分量になった。大変