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毎年ブログで1年の振り返りブログを書いていて、その時間が結構好きだったりする。しかし、今年はゆっくり書く時間がなさそうなので写真もなしに雑に振り返りたいと思う。 昨年12月はCAF賞のファイナリストに入り、パリから日本に一時帰国したものの負けて(入選止まり)、楽し悔しかったのだけれど、これはパリで修行して来いというメッセージと捉え年末にパリに戻る。 友人たちと年越しをして、初日の出を待っていた時に、能登の震災が起き、遠い国から地元にいる家族や友人たちの心配をしていた。20
今月提出した修了作品の作品解説文(32,000文字)を公開しているところだが一旦ブレイク。気づけばあっという間に年末なので諸々の近況を綴りたいと思う。作品解説文は現在第三章まで公開していていて、自分で言うのもなんだが相当気合い入れて書いたし面白いと感じているのでぜひ読んでみて欲しい。 ちょうど1週間前に、藝大取手校地にて最終審査会が行われた。審査なのでいつものように講評はなかったが、おそらく先端芸術表現科の教授たち10名と顔を合わせる最後の日になったと思う。1年半ぶりに訪問
本記事は修了作品解説文の3章です。2章はこちら。 前章では、「プロ無職」という独自の肩書きを選択するまでの過程を、1990年代の新自由主義的な時代背景とともに論じてきた。本章では、その「プロ無職」としての活動、すなわちデジタルメディアを用いた情報発信を通じて直面した課題と限界について検討する。特に、表現の言語化・数値化や、アテンションエコノミーにおけるコンテンツの消費という問題は、新たな表現の可能性を模索する契機となった。この章では、デジタル空間から距離を置き、美術表現、と
本記事は修了作品解説文の2章です。1章はこちら。 本章では、私が美術制作を始める以前の活動と、その時代背景について論じる。2015年から2020年頃にかけて、私は「プロ無職」という肩書きを名乗り、世界各地を移動しながら働く人々を取材し、オウンドメディアやYouTubeで情報発信を行ってきた。この活動は、表現メディアこそ異なるものの、現在の制作活動の根幹となる思考を形成している。本章では、私の生い立ちや時代背景を辿りながら、なぜ「プロ無職」という特異な肩書きを名乗るに至ったの
東京藝大修士課程の最終審査を控え、修了要件のひとつである「修了作品解説文」を執筆した。 修了作品は先月のコートヤードHIROOで開催した個展「流されずに流されていく」と同名の映像インスタレーション作品。 この作品と研究内容について解説するには、自分が美術をはじめる前の「プロ無職」としてネット上でバリバリ発信活動してたときや、さらには、なぜ「プロ無職」を名乗るに至ったのか幼少期の原体験や時代背景を論じる必要があると考えた。 そしたら、最低文字数の倍以上の分量になった。大変
静岡県の富士市に2年ぶりに訪問し、《ホットサンドメーカーズクラブ》ワークショップを開催した。 短い時間ではあったが、ホットサンドを食べながら色んな人からルーツにまつわる話を聞けたり、最終的に輪になって話す時間があったりして、濃い時間を過ごせた。映像記録しているので、振り返りながらどのような方向性で今後制作を進めていくか考えたいと思う。 《ホットサンドメーカーズクラブ》は2月にメディア芸術クリエイター育成支援事業の成果発表イベントにて展示予定! 今は一旦修論の執筆と、修了